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ゆっくりと焦らずに

当たり前の話ではある。機械式のメトロノームは楽器演奏時に、その楽器の音にかき消されないような音が出せなければ役に立たない。

だからペンを走らせているときなどは、とてもではないが音が大き過ぎる。隣の部屋の押入れに入れればなんとか・・というレベル。失敗した・・。

なぜ最初に電子式にしなかったのかというと、単純に「電子音は無機質」というイメージがあったからだ。

ピッピッピという電子音が流れ続けるよりも、機械式時計のような暖かみがあるような、人間味のある音が欲しかった。できれば木製のほうがよかったが、高すぎて踏ん切りが付かず、樹脂製のメトロノームを買うことにした・・のが失敗だった。

まぁ、なんとなし置き物として悪くはないので、返品はせずに置いておくことにした。
― この繁忙期に返品処理にも気が引けるし。

そして電子式

電子式メトロノームである。
適当にYAMAHAの物を買ったが、特に理由はない。
検索して目に付いたからだ。

譜面台などに挟んでおけるようなクリップ式で、レビューの中に「クリップが割れた」というものもあったが、基本机の上に置いて使うつもりなので大丈夫だろう。

もう一つの使い方として、ウォーキング時のペースメーカーとして使おうかと考えている。

ウォーキングというと「歩幅を大きく」とか「膝を高く引き上げ」のようなことが思いつくが、私がやりたいのはスローなウォーキングだ。

ゆっくりとした動きというのは意外に難しい。
手書きの文字なんかも、勢いで誤魔化せばなんとか形になったりするものだが、ゆっくりと書き上げるとなると、誤魔化しがきかない。

武道や舞踊の型なども経験されたことのある方ならわかると思うが、ゆっくりとした動きは誤魔化しがきかないものだ。
バランスの悪さ、身体の使い方がモロに出てしまう。

だから歩くという単純な・・。
というか、普段から行っている動作を勢いに任せるのではなく、ゆっくり丁寧にやってみよう。そういう単純な思いつきの話である。

思考も勢いに任せず

思考もなんとなく、なんとなくではあるが、世の中スピードを求めている空気が蔓延している。 ― そう感じる。

一方ではマインドフルネスや禅のような、スピードとは相反する事柄が取り沙汰されることも多い。
一体どっちへ向かわせたいのだろうか、と少々疑問に感じることがあるが、それは人それぞれの思想だの何だのがある。

ちょうどマスメディアがグルメ特集をやった後で、ダイエット企画をやっているみたいだ。

アレもコレもとやった挙句、結局何も上手く行かなかったという話も聞くが、ひょっとしてそういった "あべこべ" な行動を一緒くたにやってしまっているせいではないだろうか。

心技体は良く使われる言葉であるし、耳にした方も多いと思う。

これで思考は速さを求め、心はゆとりを求め、体は有酸素運動のような激しいものをやっていて、果たして上手くまとまるのかと疑問に思ったわけだ。

早いと雑になりそうで

だらだらとやることと丁寧に行うこと。
これは全く違ったことであろうから、傍から見ていても違いはわかる。

熟練の料理人や職人の手捌きには思わず見入ってしまう。そういう経験をしたことがある方もいるだろう。
キレがあって隙がない。雑さもない。力みも感じさせない。

呼吸するのを忘れてしまい、仕事が終わった瞬間に、思わず「ほぉ〜」っと呼吸と同時に声が出てしまう。

何十年と研鑽してきた技術というものは美しい。
人の心を惹きつける。

そういう "職人" や、或いは "達人" と呼ばれる方々に憧れがある。
正直そんな高みに登りつめることなど叶わないにしても、近づくことはできるはずだ。

先ずは焦って空回りしてしまうこと、熱くなって考えが詰まってしまうこと。
それらを意識して落ち着かせるツールとして、メトロノームを使ってみている。

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