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小さい文字

子どものころ、私は小さい字を書いていて、
「もっと枠をいっぱいに使って書きなさい」
と注意されたものだ。

そのころは疑問に感じることも、反発することもなく、
「そうなんだ」「そう書くものなのだ」
そうやって先生や大人たちの言われるがままに、枠いっぱいに大きく文字を書くように心がけた。

「書きにくいな」
正直そうとしか感じなかった。
無理して手を使うものだから指には力が入り、文字を書くのに疲れた。

だが大人たちは褒めてくれる。
「大きく書けているね」「元気がある字だ」
その反応を見て
「これが正しいことなのだ」
そんな判断をして従った。

そんなことを思い出したのも "ジャーナリング" を行っている最中のこと。
何かが自分の中で引っ掛かっているような、微妙な抵抗感がある。

なんだろうと感じながらも文字を走らせていて、何日か経った時にふと、そんな昔の記憶が蘇ってきた。

「ああ、そういえば最初は小さい字を書いていて注意されていたっけ」

はっとした。
大きな文字を書くことはまるで "良いこと" だとして教えられたが、それは他人の価値観でしかない。

ペン字や習字などは型通りの練習からはじまり、とくに書道などでは守破離を経て独自の世界を構築してゆくのだろうが、私は文字自体で何かを表現したいわけではない。

文字そのもので表現することに憧れや羨む気持ちはあっても、そこまでの熱量は持ち合わせていない。

だから文字を書きやすいような大きさに変えた。
戻したというのかな。
長年型に嵌っていたクセがあるものの、どことなく懐かしい子どものころの感覚が残っている気もする。

"大きく伸びやか" とは異なった方向だが "小さくても自由な感覚" で文字を書くことに戻った。どこか懐かしい場所に帰ってきた感覚にも似ている。

小さくちぢこまることで自由と広がりを感じるというのも奇妙な感じではあるが、なんとなく自分へと戻る道を歩き始めた気持ちになった。

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