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はじめまして

はじめまして、
ご縁を整えるゆりはなコンサルタントの
悠里です。

noteは書くつもりがなくて、
読むだけのつもりだったのですが
自分のことを一から書いたことないなぁと思い
はじめてみる事にしました。

生い立ちから始まるので、
長くなるとは思いますが
へーこんな人なんだと
読んでいただけると嬉しいです。


photo by 武井るみのさん

私の幼少期

1976年、京都市内の病院で
銀行員の父と専業主婦の母の間に
私が産まれました。

丸々とよく肥えた赤ちゃんだったようで、
華奢な母はだいぶ体力的に
大変だったようです(笑)

生後しばらくすると、
母の実家の市内から父と母と3人暮らしの
京都市街へ引っ越して幼少期を過ごしました。

そして、この辺りから、
母と祖母に連れられて
仏教系の宗教法人に通うようになります。

物心のついた時には
日曜日は仏教のお勉強の日でした。

3歳の頃には般若心経を
なんとなく唱えられるようになります。

幼いですから、なぜそこにいるのか
理由は全くわからず

ただ、一人っ子の私にとっては
お兄ちゃんお姉ちゃんたちが
たくさん可愛がってくれたので
行きたくないと思ったことは
小さい時にはありませんでした。


よくインナーチャイルドのセッションを
自分でも自分にしていて
幼い頃を思い出そうとするのですが

実は私は本当に、幼少期の記憶が
数えるほどしかありません。

ですが、その数えるほどの記憶は
なかなか強烈で
今でも鮮明に覚えています。

その中のひとつを聞いてください



幼稚園の時のお話



私の通ってた幼稚園は住んでいた団地の
目と鼻の先にありました。

まだ、平和な昭和の50年代

先生方も母たちも呑気なもんで、
帰る時には一人で帰る時もありました。

そんなある日、なぜ一人で帰ったのか
思い出せませんが
一人でテクテク歩いて団地へ
帰った日がありました。

団地と幼稚園の間には田んぼがあります。

一人のおじさんがしゃがみ込んで
田んぼの中をのぞいていました。

私は人懐っこい性格だったので
「何見てるん?」と聞いたら
「カブトガニ知ってるか?」と
言われてエビのようなカニのようなものを
指差しておじさんは言いました。

ガサガサ動く黒い物体、
しばらくおじさんと観察してると
おじさんが言いました。

「帰ったらな、お母さんに
優しくしてあげるんやで」

なんで?と聞いて顔を上げると
おじさんはもういませんでした。

家に帰ると電話の受話器を持った母が
泣いていました。

どうしたのか聞いても何も答えてくれません。

困ったなと思いながらおじさんに言われた通り、優しくしてるといつの間にか
母の機嫌は直っていました。

それからしばらく、
なんで泣いてたん?としつこく聞きましたが
その話になると「ゆりは知らんでええねん」と
怒られたので
もう諦めたのですが、

大人になってこれが思いのほか
違う形で、自分に影響を及ぼしてきます。

インプットされたのは
私は優しくしてあげたのに怒られた
ということでした


こうして人知れずインナーチャイルドが
傷つくということを
知るのは、この何十年も後のことです。

そしてあのおじさんは誰だったのか
実はこのおじさんには、また会えるのですが
それはここからもう少し先のお話。


幼少期の記憶であるのは
ピンクレディと鉄腕アトム、ゴレンジャー
お弁当箱はアルミのお弁当で
キャンディキャンディ

髪の毛を腰まで伸ばして、叔母が買ってくれた
ピンクのワンピースが大好きで
それが回るとくるっと円になるので
くるくるの服って名前をつけてたな



自分の体の周りにも、他の人の体の周りにも
薄い輪っかが見えていたけれど
でもこれが自分だけだと知るのは
小学生になってから。

幼稚園のお話はこんな感じです


後は、二つくらいエピソードは覚えてるけど
またどこかで聞いてください。

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