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「駆け込み寺」があるということ

 大学生のとき、悩みがあるとわたしはよく祖母の家に行った。この頃の悩みというのは大体母との関係で、わたしにとって「母親」という存在は絶対的で逆らえない存在だったから、「自分がこんなことで悩んでいるということさえ、許されないんじゃないだろうか」とか、「否定されるんじゃないだろうか」とか、「自分は自分の意見さえ持ってはいけないんじゃないんだろうか」ということでいつも悩んでいた。


「今から行っていい?」とひとことだけメールをして祖母の家に行くと、祖母はいつもにこにこして、わたしを迎えてくれた。「何かあったの?」とか「どうしたの?」とかは何も聞かない。ただあつい緑茶とお菓子を水屋から持ってきてくれて、「これ向かいのNさんがもってきてくれたんや、おいしいで、食べ」とか「今日はこんなことがあってな、あんなことがあってな」とか、おしゃべりな祖母が一方的にしゃべったり笑ったりする。


うんうん、そうなんや、と祖母の話をそこそこに聞いて、「あの、お母さんのことなんやけど」とおそるおそる話を切り出すと、今度は祖母がうんうん、と話を聞いてくれる。「あんたのお母さんは昔からああやった。娘やけど、おばあちゃんだってお母さんに腹立つことあるで。お母さんだけが正しいとはおばあちゃんは思わんよ」と祖母はいつも、わたしにそう言ってくれた。


この言葉にどれだけ救われたかわからない。「自分がここにいてもいいんだ」「こういう風に思ってもいいんだ」と思わせてくれたのは、祖母だった。それから一緒に仏壇にお線香をあげて、手を合わせる。「こうやって手を合わせたら、心が落ち着くで」と教えてくれたのも祖母で、確かに手を合わせたあとは、ちょびっと心が楽になった。



あとで聞いた話なのだが、わたしの弟も同じように悩みがあると、祖母の家に行って話を聞いてもらっていたらしい。そしてお詣りをする。彼は長男という立場だったし、とても優秀だったので、家ではわたしより明らかに優遇されていたと思うが、だからこそ母との関係に悩むことも多くあったのだろう。わたしたちにとって祖母の家は、「駆け込み寺」だったのだ。


3月の初め、妙心寺の退蔵院を訪れ、本堂から「元信の庭」をぼーっと眺めながら、そんな「駆け込み寺」の存在について考えていた。3月に入ったとはいえ、まだまだ冬のような寒さが続いていて、この日は特に寒かった。だからなのか、思ったほど人はおらず、ゆっくり庭園を眺められた。


「元信の庭」椿がきれい



枯山水の庭園には、言ってしまえば石や砂、草や木しかない。なのに肌にあたる強く冷たい風やその風が樹々を揺らす、ざわあああ、ざわあああという音によって、本当に水が流れているように見えるのが不思議だった。



山から川が流れているように見えた



面白かったのがこちらの水琴窟


耳をあてると…


ぽこぽん、ぽこぽん、と誰かが琴を奏でているような音がする


余香苑 ベンチに座るところもある 近くには茶席も
余香苑 桜や紅葉の時期はきっと美しいんだろうなあ


こんな感じになるみたい



ゆっくりと庭園内を回るうちに、大きな悲しみや悩み、喪失を抱えたとき、こういった場所が絶対に必要になるのだろうなあ、と思った。祖母のように何も聞かず「うんうん」と言ってくれる場所というか、自然の中に身を置いてそこに自分が溶け込む感覚というか、静かに涙を流す時間というか…。そうやっているうちに時間はかかるかもしれないけれど、自分を取り戻していくんだろうなあ、と。



昔よりも複雑化している社会において、どんなときでも自分を受け入れてくれる、肯定してくれる場所があるということを、知っているのと知らないのとでは、生き方も随分違ってくるだろう。


妙心寺は臨済宗のお寺(禅寺)だ。わたしは臨済宗のお寺=手入れされた庭園というイメージがあって、なぜだろうと思っていたが、理由があった。禅寺の教えとは、深山幽谷のところで静かに修行しながら生活するというのを理想としていたのだが、室町幕府と密接な関係を築いた臨済宗は、都市に出向かざるを得なくなり、自然を身近に感じるために、庭を造るようになったという。



もう少し季節が進めば花々が綺麗に咲き、目を楽しませてくれるだろう。それによって、きっと来る人も増えると思う。わたしはあえて今の時期に来れたことで今の自然を楽しめたし、ひとりでゆっくり庭園の景色を独り占めできたような気がしたので、それはそれで良かったなあ、と思った。



わたしは誰かのこんな「駆け込み寺」のような存在になれるだろうか。去るもの追わず、来るもの拒まず。そんなどっしりした、芯のある人間に憧れるし、なりたい。

ありがとうございます。文章書きつづけます。