太地町でのイルカ漁業に対する和歌山県の公式見解

太地町でのイルカ漁業に対する和歌山県の公式見解
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1 なぜ、和歌山県はイルカ漁の許可をしているのか
イルカ漁は紀南地方の重要な産業であり、地域の伝統文化であるのですが、自然資源の科学的な管理および利用に資するように、法律によって許された方法で行われています。
太地町は、紀伊半島の東海岸に位置する人口約3,500人の小さな町です。日本の経済活動の中心から遠く離れてはいますが、捕鯨の地として約400年の歴史があり、鯨やイルカを捕って、栄えてきた町であります。鯨やイルカは当地域の食文化になくてはならないものです。鯨やイルカに関する伝統的な文化行事が年中行われる一方、イルカ漁は地域経済に欠かせない産業として人々の暮らしを支えています。
イルカや鯨は、持続的に利用される海洋生物資源の一つであり、枯渇することのないように、関係機関が漁業活動を管理しています。大型鯨類については、1948年国際捕鯨取締条約が多国間で結ばれましたが、この条約の目的は、生物資源を絶滅から守るための保護であって、むしろ捕獲利用を前提にしています。ところが、その後一部鯨種が随分と増えて、むしろ他の漁業資源を脅かしている状況だという学説が多くなっている中でも、国際捕鯨委員会で商業捕鯨の再開が認められないのは理不尽だとして、日本はこの条約から脱退し、2019年から日本沿岸においてのみ、日本の国内法に従って、商業捕鯨が行われています。一方、イルカなど小型鯨類は上記条約の対象ですらなく、その捕鯨は各国の漁業資源管轄権のもと、実施されています。日本では法律に基づく水産庁の規制に従って、各県の監督のもと、実施されています。もちろん、水産庁の規制は小型鯨類の存続を脅かすことがないよう、十分科学的知見のもとに行われていると思われます。
このような水産庁の規制に従って、各県はイルカの捕獲規制を行っており、その一員である和歌山県としては、その規制に反する明らかな事実がない限り、許可をせざるを得ません。
2 イルカ漁はかわいそうなので、知事の権限で止めさせたらいいのではないか
漁業法第57条第1項において、大臣許可漁業以外の漁業であって県漁業調整規則(以下「規則」とします)で定めるもの(鯨類追込網漁業、いるか突棒漁業など)を営もうとする者は、知事の許可を受けなければならないとされています。漁業調整の事務は本来国の事務ですが、国の認可制のもと、知事に対して規則を制定する権限が委任されています(第一号法定受託事務)。
知事許可漁業に係る許可申請があった場合、その許可をしない基準は、大臣許可漁業の規定(漁業法第40条第1項)を準用することが法定化されており、基準に該当する場合を除き、許可をしなければなりません。
 漁業法第40条第1項(許可をしない基準)
 ・申請者が適格性を有する者でない
 ・申請に係る漁業と同種の漁業の許可の不当な集中に至るおそれがある
なお、漁業法及び漁業法施行令により、知事許可漁業において許可をしない基準として「その他規則で定める場合」の規定が定められており、知事の裁量の余地はあるかどうかという問題が残ります。
しかしながら、国は地方自治法第250条の2第1項に基づき規則の認可基準を定めており、認可のない規則は無効となります。
 国の認可基準の例
 ・漁業生産力の適正な発展に支障を及ぼすものではないと認められる
 ・不当に義務を課し、又は権利を制限すると認められる規定を有しない
裁量権の行使は上記の国の認可基準に合致することに加え、漁業法及び規則の目的である漁業調整の見地を踏まえてなされるべきです。漁業調整の必要性から見て、その裁量権の範囲を逸脱し、又は濫用したと認められる場合は違法となります。
したがって、鯨類追込網漁業やいるか突棒漁業についての適正な漁業許可申請に対して、知事の裁量で不許可とすることはできません。
3 欧米諸国は捕鯨をやめたのに、なぜ和歌山県では続けるのか
主として、現在捕鯨をやめ、これに反対している欧米諸国の大規模な捕鯨により頭数が減少した大型鯨類の適正な資源管理のために1948年国際捕鯨取締条約が結ばれましたが、イルカのような小型鯨類については、その捕獲は各国の管轄権に委ねられています。
それに基づいて、日本の漁業法や省令は、小型鯨類の捕獲について、生物資源としての存続が脅かされることがないように、捕ってよい鯨種などを定めています。和歌山県は、この法手続きに従って、イルカなどの小型鯨類の捕獲法を定めていまして、太地などの漁民は県の規則に従ってイルカなどの捕鯨をしています。
それでは、和歌山県が、このような捕鯨を何故許しているのかというと、
(1)鯨やイルカの肉は、牛や豚や鳥の肉と同じように一般に食べられ、その分需要があり、これに応えて漁労をすることは、何ら他の経済行為と異なることはないこと、逆に言うと、鯨類を食べたり、殺したりすることは悪だという特定の考え方に従って、この法運用を恣意的に行って、関係者の生活を脅かすことはできないこと
(2)和歌山県の南部地域では日本遺産としても認定されているように、厳しい生活・経済環境のもとで鯨を捕り、それによって生計を維持し、家族を養い、地域を支えてきた伝統とその中で育まれてきた文化があり、それは十分に尊重されるべきこと
(3)国際捕鯨取締条約においても、米国の先住民族などは先住民生存捕鯨の規定に基づき、伝統に従って大型鯨類すら捕獲することを許されており、それには目をつむって、同じく伝統に従って捕鯨を続けている太地町の漁民だけが非難され、攻撃されるのは理不尽であること
4 日本だけが捕鯨やイルカ漁を行っているのではないか
鯨もイルカも鯨類ですが、一般的に成体が4mを超えるものを鯨、4m以下のものをイルカと呼んでいます。国際捕鯨委員会(IWC)は、大型の鯨の捕獲を規制対象としており、イルカや小型の鯨の捕獲については規制していません。
大型鯨の捕獲規制の例外として、先住民が生計を維持するため、アメリカとロシアで合わせて196頭、デンマークで215頭、セントビンセントで4頭の捕獲が認められています。
ノルウェーとアイスランドは、IWCの規制に異議申し立てを行い、商業捕鯨を継続しており、2018年には、それぞれ454頭、152頭を捕獲しています。
日本は、これまで「国際捕鯨取締条約」第8条に基づく調査捕鯨を行っていましたが、2019年6月末にIWCを脱退し、それ以降はEEZ内において厳密な資源管理のもとで商業捕鯨を再開しており、2020年は、307頭を捕獲しています。
一方、IWCが規制していないイルカなどの小型鯨類は、資源が枯渇しないように各国の自主管理のもとで捕獲が行われています。日本では、2019年において、1,887頭を捕獲しています。うち、和歌山県では、998頭を捕獲しました。
このように世界中の多くの地域で鯨類の捕獲が行われており、日本だけが行っているわけではありませんし、ましてや太地町だけが行っているわけではありません。
5 米映画『ザ・コーヴ』について
本県では、イルカ漁の問題は非常に複雑であると考えています。イルカ漁や捕鯨は日本だけのものではなく、世界中の多数の地域で行われており、その多くが同じような地理的条件や、似たような歴史的、経済的背景を持っています。にもかかわらず、『ザ・コーヴ』は、動物愛護の観点から見た一方的なもので、和歌山の状況をややセンセーショナルに表現しています。
また、この映画は多くの問題を提起しています。世界中で多くの人々が肉を食べていますが、そのためには、野生にしろ大切に育てた家畜にしろ、動物の命を絶たねばなりません。と殺は通常、人目に触れないように行われており、例えば、その現場にわざわざ入って撮影することで、その行為を煽情的に描くのは、さほど難しいことではありません。
映画『ザ・コーヴ』は、イルカの捕殺現場を隠し撮りし、命が奪われていく所をセンセーショナルに映し出しています。(実際は、その後の改良によって、イルカ解体処理は建物の中で行われるようになっています。)
さらに、映画では水銀汚染が誇張されていると考えられます。「イルカ肉には2,000ppmの水銀が含まれている。」と言われていますが、これは実際のデータとはかけ離れています。その他、「水銀汚染を隠すためにイルカの肉を鯨肉として販売している。」、「イルカが食肉となっていることを人々が知らないのは、マスコミがもみ消している。」、「捕鯨やイルカ漁をやめないのは、日本の古典的帝国主義にある。」など事実を歪曲した内容が多く含まれています。
太地町のイルカ漁師は、これまでも何度となく、海外からやって来る過激な動物愛護団体のターゲットとなり、漁業の妨害や精神的な攻撃を繰り返し受けてきました。太地町のイルカ漁師は、国・県の監督のもと、法令規則を守り、昔から受け継がれてきた漁業を営んでいます。
このように法に則って働いている漁師をターゲットにすることは、公平ではありません。間違った情報や、日本では必ずしも賛同が得られていない一方的な価値観で批判することは、太地町でイルカ漁にたずさわってきた人たちの生活権を不当に脅かし、町の歴史や誇りを侮辱するものであり、決して許されることではないと考えます。
6 水族館用イルカ生体販売は単なる金儲け、狭い水槽に閉じ込められてイルカがかわいそう。やめるべきではないか?
世界には様々な考えの人がいて、ある人は野生動物は野生のままがいいのであって、動物園や水族館において動物を飼うことは動物の自由の束縛だからやめよと主張します。
確かに、レベルの低い動物園などに飼われている動物は、劣悪な環境のもと十分な食事も与えられないといった状況もあったことも報じられており、多くの人は胸を痛めるのであります。しかし、日本や世界の各地の動物が展示される動物園や水族館では、たいていの場合、愛情のある飼育員の手によって動物は大事に育てられています。またそこに行った人はその動物を身近に見てその生態を観察することができます。このような体験をきっかけにして、野生動物のすばらしさを知り、動物や自然に興味を持ち、その適切な保護に関心を持つようになった人々も少なくないでしょう。動物園や水族館がなければ、そうした実態を知る機会を持つことができなかったかもしれません。そういった意味で、動物園や水族館は社会的にも教育的にも重要な役割を担っています。
加えて、現在の動物園や水族館は、希少な生物を保護・繁殖させることで種の存続を図ったり、習性や形質を理解するための研究を行ったりといった学術的な使命も担っています。動物園や水族館による野生動物の展示を否定してしまうと、動物園や水族館が担っている重要な役割までも排除されてしまうことになります。
そういう動物園や水族館から現にイルカの生体に対する需要があります。その需要がある限り、漁民の人々がこれに応えようとすることを非難したり、やめさせたりすることは到底できません。
7 イルカを殺して食料とすることを、伝統や文化と呼ぶべきではないのではないか
日本は四方を海に囲まれた島国で、古来より海産物を重要なタンパク源として利用してきました。鯨やイルカもその一部で、有史以前の縄文時代からの長きにわたり食糧源とされてきたことが判明しています。
和歌山県の紀南地方では、非常に山が多いため耕作地に乏しく、沿岸に来遊する鯨やイルカを古くから食料としてきたことは、ごく自然なことです。日本では、捕獲した鯨類は余すことなく活用されており、肉を食料とするだけではなく、その他の部分は工芸品の材料として利用されています。日本の捕鯨は、石油の利用が始まるまで、鯨油の採取のみを目的として捕鯨を行い、大量に鯨を殺してはその大部分を海に捨ててきた一部の外国の捕鯨とは一線を画してきました。
太地町で捕鯨やイルカ漁が重要な産業となり、地域の人々の生業となり、その文化に取り入れられたことは、その厳しい環境に対応するために生じた当然の結果です。
自然の恵みに感謝しながら、捕殺された鯨やイルカの供養祭を行うなどの習慣が今も続いています。大量の家畜を飼い、と殺し、食している日本の農家の人々も同じです。家畜の命を絶つことの罪を感じ、自然に感謝しながら食べています。
この営みを一方的に批判したり、それを不正確な情報で煽ったりすることは、価値観の一方的な押しつけに過ぎません。
8 日本は経済大国であり、鯨やイルカを食べなくても生きていけるはずではないか
日本においては、経済活動の中心から遠く離れた離島や半島、奥深い山村では、鯨やイルカ肉、その保存食が貴重なタンパク源とされてきました。今なお、鯨やイルカの肉が伝統食の重要な一部となっている地域が全国に散在し、また、その地域の出身者や小学校の給食でこれを食べた思い出のある人々は、その味を楽しみ、買い求めています。
大量に流通、販売されているものではありませんが、現に今でも鯨やイルカの肉の需要はあります。何を食べたいか、従って何を買い求めたいかは人の自由であり、鯨やイルカの肉を食べることを、他の食べ物があるからという理由だけで、「やめるべき」と言えるのでしょうか。そして、鯨やイルカを捕獲して生活をしている漁業者は、その需要に応えて生活を営んでいるのです。捕鯨やイルカ漁をやめろと言うのは、この漁業者たちに自分たちの生活を捨てよと言うのと同じです。
9 イルカ漁は、日本のイメージを下げ、国益を損なうのではないか
各国の食文化や食習慣は、その地域の気候、地理的条件、歴史や宗教など、数々の要因により形成されるものであり、相互尊重の精神が必要とされています。例えば、宗教の中には、厳しい戒律により禁止されている食べものがあります。しかし、自分たちが食べないからと言って、信者以外がそれを食べていることを非難することはありません。鯨やイルカを食することは許されないと主張する外国の活動家たちによる一方的な文化的価値観の押しつけに屈しないことが、日本の国益を損なうことになるとは思いません。それに、欧米の国々が捕鯨に反対しているから、それに従わないといけないという発想は、主権国家の国民の考えとしては、情けなくありませんか。
10 イルカは知的で親しみある動物なのに、どうして日本では食べるのか
人は皆、生きるために生き物の命を奪っています。私たちは、牧畜によって大切に育てた家畜をと殺し、また、丹精込めて育てた野菜を収穫して、食料とします。
日本では、食事をするときに、自分たちが生きるために捧げられた命に対して、感謝の心を表すために『いただきます』と言って手を合わせます。これはイルカに対しても、牛や豚に対しても、魚に対しても、穀物や野菜に対しても同じです。動物について言えばイルカだけでなく、牛や豚などの家畜にも感情や知性があり、これらすべての動物には、我々と同じく生きる権利があります。しかし、肉を食べるために、我々はこれらの動物を殺さなければなりません。その中で動物を食べてよい動物、食べていけない動物と決めつけるのは理解できません。
11 イルカ肉には高濃度の水銀が含まれているが、食用に用いるのは安全か
水銀は、広く自然界に存在する金属です。海水中に含まれる水銀の一部は、微生物に吸収され、それをえさとする小魚から、小魚を食べる大型魚へと取り込まれていきます。食物連鎖の頂点に近づくにつれ、最も大きい魚類やイルカ等の海洋ほ乳類に蓄積される傾向があります。食物連鎖の高位にあるイルカには、他の魚介類と比べて高い濃度で水銀が含まれていることが判明しております。
これら水銀量は、急性中毒(食後数日以内に健康を損なうこと)を引き起こす量ではないことが分かっています。ただし、イルカ肉や鯨肉の定期的な摂取による長期的な健康への影響については、すべてが分かっているわけではありません。しかし、体内の水銀も排泄されると考えると、バランスのとれた食事をとっていれば、長期的な健康への影響は大きくないと考えられます。実際、イルカを多く食べる太地町において、住民の健康調査を実施した結果、大人においても、小児においても、水銀による健康影響は認められませんでした。
しかし、水銀は胎盤を通過し、社会生活に支障があるような重篤なものではないものの、胎児の神経系の発達に影響を及ぼす可能性があることから、国では2015年11月に「妊婦への魚介類の摂取と水銀に関する注意事項について」を改正し、妊婦の耐容週間摂取量が体重1kgに対して2.0マイクログラムとされました。これは、バンドウイルカだと、1回80gとして妊婦は2ヶ月に1回食べられる量になります。
和歌山県は太地町など鯨類多食地域を含む県でありますので、各市町村役場で実施する母親学級(妊婦対象の保健指導)などでは、水銀濃度が高い魚介類のみを偏って多量に食べることを避けることや、併せてバランスのとれた魚介類の食べ方についての指導を行っています。
このようにして過食さえ避ければ食用に用いても全く安全です。そのことは、太地の人々の健康状態を見ればよくわかります。
12 イルカ肉の摂取は水俣病につながるのではないか
水俣病は極めて濃度の高い水銀を含む工業廃棄物に汚染された魚介類を繰り返し摂取したことによるものです。
天然由来の水銀を含む魚介類は、水銀の耐容摂取量以下であれば食べ続けても健康リスクがないことは明らかです。また、天然由来の水銀を多く含む魚介類であっても、体内に取り込まれた水銀は約70日で半量が排泄されるので、消費の頻度をきちんと管理していれば、安全に食べることができます。
これまで、自然現象として蓄積した魚介類由来の水銀摂取が人間の健康に被害を起こしたという明確な事例は報告されていません。現に、太地町では、昔からイルカを捕獲して収入を得ながら、今よりはるかに多量のイルカを食べていましたが、今も昔も水銀中毒の話は出ていません。
13 一部のイルカ肉はまぎらわしい表示で販売されているのではないか
現時点において、イルカ肉が鯨肉として不正表示されている例はありません。そのような法律違反に関する具体的な情報を把握した場合は、国や市町村と連携して必要な調査等を実施します。
そして、その事実を確認した際は、食品表示法に基づいて、規制当局が違反事業者に指導を行い、適正表示の徹底を義務付けます。
14 太地町のイルカ捕獲方法は非人道的ではないか
太地町におけるイルカ追い込み漁は、以前は、映画『ザ・コーヴ』で示されたとおり、イルカを入江に追い込んだ後に、銛を用いて捕殺していました。
しかし、2008年12月以降は、イルカが死ぬまでにかかる時間を短くするために、デンマークのフェロー諸島で行われている捕殺方法に改められています。この方法では、捕殺時間は95%以上短縮されて10秒前後になりました。イルカの傷口も大幅に小さくなり、出血もごくわずかになりました。
また、家畜の解体が人目に触れないように専門の施設内で実施されているのと同様に、2008年12月からはイルカの解体も人目に触れない場所に移され、太地漁港内の新しい衛生的な施設内で行われるようになりました。
このように、映画『ザ・コーヴ』で指摘された問題の多くは解決されています。
 


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