愛の定義

スペースで愛について各々定義を出し合っていたところ、話題にでてきた人のnoteが良かったので、まんまと感銘を受け書こうと思った所存です。



私は愛は、ずっと在るものだと思っています。
恋愛に限りある一人を最上位で愛することだけを愛にすれば、ちょっと違うのですが、いつも根底に居るものだと思っています。


例えば猫がそこで寝てたり、パン屋さんからいい匂いがしたり、公園ではしゃぐ子供たち、それを見る老夫婦、おしりを揺らしてパンくずを食べる鳩、あたたかい太陽、を浴びて温かくなった砂場、そこにあるちいさな城跡、その横の地面の砂に描かれた丁寧なアンパンマン、の横にある小さなちょっと歪なアンパンマン、

言ったらキリがないくらい愛があって、愛は生まれるものでもあり、ずっとそこに居るものだと思っています。


好きは、断片的に排泄されるものかな?
(スペースでオシッコかけるみたいなもんと言ったらマジでわからないと言われた)
好きも継続されるけど、あ、好き、てなる瞬間があるからデカい愛の中に好きがある、みたいなイメージかなと。


そういう愛が湾曲して伝わったりそこに在ることに気づけない、ていうのが愛が無い、とか愛がわからない、て状態なんじゃないかと思います。



性善説とはまた違うけど、そういった意味では自分は物凄く愛を信仰している節があります。
信仰、つまりそれは求めているので、やはり探し求めてしまっているのだとも。


先程好きな人に、貴方は1番好きになってくれる奴なんだと思う、でも多分1番に愛そうとは思っていない、と言われてムズすぎると思いながら必死に長文で愛を語った。
(21歳が愛を語るのムズすぎるんだよ‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️‼️💢💢💢💢💢💢💢💢💢)


でもそれ自体つまり愛だし、今あなたがこのnoteを見ていることもそれつまり愛だし、ていうかあなたが愛だし、わたしが愛やねん。


人間関係のもつれって、嫉妬か、配慮の齟齬、愛の齟齬が殆どだと思っています。


友達同士であれば、愛に関する齟齬は、あなたはそうだけどわたしはこうだな、けれどもそれもこれもいいよね、で終われる話なんだけど、恋愛が入ってくると愛の齟齬はかなりネックになってくるし、上手いこといかない場合だらけだと思います。


そこはやっぱ一緒に歩むのなら絶対に擦り合わせないといけないし、お互いの齟齬をうまく噛み砕くという作業が必要になります。



みんな自信がない。
みんな当たり前に救われたい。受容されたい。



恋愛なんか、波長が合う、フィーリングが合う+性欲+メサコン欲、だと思っています。
みんな救われたい中で自己中が大きくなるから問題になる。
でも根底ではみんな救われたい。
その中で、愛とか好きとかは断片的な解釈でしかないとも思うけど、愛は日常の節々でなるべく感じられるようにしたいし、感じさせられるようにしたいな、と思う。



芦田愛菜ちゃんが、信じることについての自己解釈を話した時に称賛されていたけれど、わたしの信じることへの解釈も似たようなとこがあって、ただ盲信するのではなくて、相手のよくない所が露悪してしまった時に、一気に覚めたりすることはないなという自信というか、ただ受け入れられるという自分自身に対する自信というか、それだけの大きさのものをひっくるめて信じる、というのではないかな、みんな欠けてるから。



親になりたい。も愛ではないかな
与える人になりたい。
埋まらないところ、欲しいところを全て与えてあげたい。
そう思うからもう全部愛なんですよ・・・



探すものではなくて、いつもそこにあるものだよ。

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