「かな・かも」が形になる ~note50日目~
夜中に1つ投稿したらお知らせ画像が出た。
今日でちょうど50日目らしい。
去年の誕生日に何か新しいことを始めたいと思った。
そんな時にnoteを思い出し、これまでに新しくやったことは5つ。
1)noteに登録した。
2)50日連続で投稿した。
3)昔やっていた「今日の1コマ」をまた始めた。
4)お題に答えた。
5)コンテストの作品を作った。
1)は説明省略。
2)50日連続で投稿した。
1枚写真や1行文という個人的チートな投稿も入れつつも続いた。
最初は投稿した後にカレンダーにマルをつけたりしたけれど、いつの間にか22時ごろになるとPCに向かって何かを書き始めるように。
3)昔やっていた「今日の1コマ」をまた始めた。
たまたま「1年が短く感じるカレンダー」のことを思い出して作ったので、久しぶりにやることにした。
何をしているかというと、1日のハイライトを1円玉よりも小さい1コマに書いている。ただマルをしたり色を塗るだけでは面白くない、から始まってこの形に落ち着いた(描くのに時間がかかりすぎて毎日やるにはこのサイズが限界というのもある)
4)お題に答えた。
自分が普段出会うことのないタイプの人からのお題はとても面白い。
普段思いつかない切り口が見えて、あれこれ考えた挙句に膨らみすぎてしまう文章をまとめるのは大変だけど自分の投稿よりも楽しんでいる部分もあるかもしれない。
5)コンテストの作品を作った。
#描くようになったきっかけに投稿した 。
締め切りの直前に“やっぱり描いてみたい”と思ったところから投稿までたどり着けるとは正直思っていなかった。
このような形のものを作るのが初めてなのでクオリティは目をつぶるとして、実は完成できたことにびっくり。
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やったことを振り返ってみると
“自分にはできるかな(やっぱり無理かな)”だった姿勢が
“もしかしたらできるかも(時間かかるけど)”になったのかなと思う。
こんなことやりたいから、やりまーす! とはっきり言うことはまだできないけれど。
特定のことを書きたくて始めたわけでも、表で発信をする立場でもなく
さらに文章を書くのは苦手という状態からのスタートだと考えると、少しは変わったのかもしれない。
以前もnoteの安心感のある場に育てられていると書いたが
続けていくとさらに、自分はnoteの「誰もが創作をはじめ、続けられるようにする」に沿ったシステムに支えられている面が多いことに気づく。
自信を失う方法が
「あれができなかった、評判悪かった」→「ならば無理だろうからやめる」
…だとしたら、noteはこれを逆走しているような感じ。
何かを作っていくうえで、まずは安心して公開できる場があるということはどんなにうれしいことだろう!
“マガジンという分け方が便利そうだから”という理由でnoteを選んだけど、その選択でよかったと今は思う。
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年末年始モードだったことを考慮してもこんなに新しいことをできているとなると、100日目にはどんなものが見えているだろうか?なんだかテンションが上がる。
…とはいってもあまり遠くばかり見ていると先に進んでいないように思えてやめてしまうので。
明日からもシステムにお世話になりながら、また歯を磨くように淡々と更新していくことにしよう。
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