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俳句歴2年目の雑感

俳句記事ばかり投稿して、俳句関連のことが気になっているこの頃。やっと句歴1年が経過したばかり。
俳句ポストの投稿も12か月連続できたし、そろそろ中級コースにチャレンジしようかと考えたこともあるけれど、自分には中級以上はまだ早いかな~って結論を出した。「自信がもてない」ことも大きな理由だけれど、自信なんて一生持てないだろうからそれはどこかのタイミングで勇気を出す。そのタイミングを今決めたとも言える。

もう一度、金曜日の初心者の優秀句に選ばれた時若しくは句歴3年が経った時。

俳句始めた頃は、17文字の体裁を作ることに精一杯で、自分の句のどこが良くないのかさえわかっていないし、他の方の句を読んでも正直、どこがなにが良いのか、俳句の何たるかも理解できない状態だった。自分が何もわかっていない、ことさえわからない。それが初心者だから仕方ないけれど。

現在、型とか季語とか多少は理解が進んで、優れた鑑賞文にナビしてもらって句の良さを味わうこと、鑑賞眼も進んできたように思う。けれど、まだまだ。自分がわかっていないことが、漸くわかりかけてきたような段階。それだけ奥が深く幅広く、頂上が高い所にあるのが俳句なんだと思う。それでも、こんな初心者も大らかに受け入れてくれてるので裾野の広さもありがたい。

ダラダラと俳句ポストに投稿してきたけれど、ここで目標ができた感じ。向こう2年は毎月投稿すること。2年経ったら初級者から中級コースに進む。金曜日に掲載されたら、少し早く先に進む。

兼題とか投稿してみるのは、一つの自分の励みになる。何かやってみた結果が数週間、数ヶ月後に出てくるのは日を送る楽しみになる。投稿の良さは、独りよがりにならないでいられること。選者の講評や他の句に触れることが見識を広げ何よりの学びになる。もう少し投句先、投稿先を増やすか検討中。やらなくちゃならないことは他にもたくさんあって広げすぎると苦しくなるから。

それとは別に、日々自分が感じたことや考えたことを表現してみること。他者からみてダメ出しされるような代物であっても、自分がそう思った、そう感じたことをそのままに出していく。どのような鑑賞をされても、それは別の問題。他人からどう思われるか、だけが自分の基準ではない。他者からの評価の場に出す俳句、自己表現だけが目的の戯言、一致させなくても良いんじゃないかと今の自分は思っている。

俳句って趣味としては、今までで最強。いつでもできて、道具もいらない、だからお金もかからない、没頭すれば没頭したなり、軽ければ軽いなり、人と競わなくても良い、一人でもできる、上を見れば果てしなく上達が可能だし、マイペースでも、下手でも支障はない。
季節の変化や自分や他人の心の機微に敏感になれるし、色々心が動くので退屈してる暇もなくなるし、何かしながらでもできる。

そんなこんなで、自分の俳句生活の2年目の雑感。学びと楽しみのバランスを取りながらマイペースで進む。ゆっくりで良いじゃないかと、自分に言い訳をしながら。