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道修町は薬の宝庫。

9月8日、木曜日。
用事があって大阪に行った際のこと。
時間があるので、普段行けない所に行きたい!
そう思って製薬会社の博物館に行ってきました。



そもそも大阪の北浜の隣エリアは道修町といって、江戸時代から薬問屋が並んでいます(知らなかった!)
約300メートルの道修町通りには薬の神様が祀られている少彦名神社をはじめ、シオノギ、武田など今でも多くの製薬会社が本社を置いています。


このあたりが薬で発展したのにはワケがあって、それは江戸時代に遡ります。
当時鎖国で貿易がされていた頃、独占的に薬の原料を輸入できるいわゆる「株仲間」がこの辺りで結成されたのだそう。
その結果道修町には薬問屋が集まり、その名残で薬の街と呼ばれているんですって。


通りを歩いて建物を見てると「◯◯化学」「◯◯製薬」、と大小さまざまですが薬関係の企業が多いのです。なかにはすごく古そうな薬屋さんも。



今回伺ったのは田辺三菱製薬。いくつかの企業が合併して今に至るのですが、その中のひとつ、田邊製薬は1678年創業。日本で1番、世界で2番目の古さなんだそう。

このこはオリジナルキャラなんだって


江戸時代は和漢の時代。生薬を使った薬が中心だったのですが、明治時代に薬事法が整備されると西洋薬へシフトチェンジ。
その後悲しいことではありますが戦争などで需要が増え、技術と共に発展し今では世界中で使用されている薬もあるのだそう。



担当の方に説明してもらいながら見学を進めていくのですが、一番興味があったのは創業時の話。
「たなべや薬」という産後の肥立ちが悪い女性向け商品を販売して大きくヒットしたのですが、この薬元々は薩摩の島津家に伝わる薬でした。
関ヶ原の戦いで西軍が負け島津義弘が逃げ帰ってきた時、大阪で助けたのが田邊家の人。
お礼にと製法を教わり作るようになったのが「たなべや薬」。
この薬、効果が高くて民間薬だったものが天皇家でも用いられるようになったらしいです。

当時の看板を復元したもの。勅許の文字。

他にも明治時代以降の変異、戦争中のこと、これからの課題など約1時間丁寧に解説してもらいました。



普段気軽に購入している市販薬はもちろん、病院でもらう薬もそうですが、長い歴史の上に今があるんだな〜
これからの発展とともに、自分たちでケアすることがもっと広まるといいなぁとおもい、勉強にさらに力が入るのでした😁😁

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