断捨離と地縛霊

山の近くから海の近くへ引っ越した。

前の居住地と比べて、冬は温暖、夏は寒冷になる。居住スペースも狭まることとなった。引っ越し代金もバカ高い。よって、転居に際して物をあれこれ処分することとした。大掃除のときよりも遥かにたくさんのものを処分した。

これをお金をかけてわざわざ持っていくのは、、となるようなものはすべて処分。案外、買った瞬間の満足のためだけに買っているものも多かったのだなと思った。その時点で役目は終えていると感じた数々のものを片っ端から捨てた。

服はその最たる例で、着古したもの、着ていないが今後着なそうなものはバンバン捨てた。厚手のものは、数年後に着るときのために取っておくのも邪魔だと思って捨てた。
本も、この先また読むだろうと思えないものは読みかけであってもすべて処分した。
パソコンも、大学入学時に買って、修論を書き、就職して数カ月くらいまでは使っていたパソコン(今は別のノートを使っている)を使わないのにまだ持っていたが、この際ということで処分した。
ゲームも、大学の頃に買ったものがあったが、多分もうやらないから全部捨てた。
音楽も、MDコンポと高校の頃に録音したたくさんの(趣味の偏った)MDがあったが、処分した。片付けしながら懐かしむ余裕もなかったし、もうこのMDコンポで音楽を聴くことはないだろうなと思ったから。
食器も減らした。マグが多すぎた。鍋やフライパンも、転居先がIHのため買い換えなければならなくてすべて処分。
古いキャリーケースやかばん類、最後に使ったのは何年前かも忘れた冠婚葬祭用の服や小物、便利かなと思って買ったものの数回使ってあと全く使っていない道具や家電、場所を取る家具なんかも、引き取ってもらったり捨てたりした。
(結果、見積もりのときに自分で運ぶと言ったものがほとんどなくなり、業者にほとんど運んでもらえた。)

前よりも、捨てたものにはあまり未練はなくなっていた。今使うものと、今死んだら棺桶に入れてもらってもいいなと思えるようなものだけ残した。
文芸部の部誌、書いた論文、もらった寄せ書き、お気に入りの詩集、一般書で読み返すもの、仕事で使う法令関係の実用書、語学の本、山の地図と図鑑、好きなアーティストの音源、読んでる漫画の最新2巻分、証明書の類、趣味の道具、特別残したのはそんなところだ。

3月に毎日いろんな種類のゴミを捨てながら、なんだか終活のようだと思った。

よくよく考えてみると、異動というのも、死ぬことの疑似体験かもしれなかった。

はじめは衝撃を受け、そのうちにだんだんと自分がいなくなったあとのことを考える。託すものを考えて、準備する。いなくなったあとは、託したものが実行されてくれればいいとは思うものの、外から見守るだけしかできなくなる。死んで別のところに生まれ変わり、昔のことは忘れ去って新しく人生が始まる。そんなかんじ。

しかし今は繁忙期であり、きっちり後始末を終えてすぱっと未練なく生まれ変われるかというとそうはいかないもので、誰も彼もがしばらくは地縛霊のように前の部署に出没しては次の人に説明し一緒にやりながら残務処理することになる。
すでに転生しているので、平日の日中は新しい世界のことをやらなければならない。そして夜や休日になると、地縛霊に変身して次の人に説明する。みんなこの時期はそんなふうに地縛霊と新生児の二面性を持って業務にあたっている。変な話なのだけれども、十分な引き継ぎ期間がないからこうなる。

そういうわけで建前上は存在しないはずの地縛霊的な仕事がこの時期はたくさんあって、私もまだまだ、成仏できない。
入学式にガイダンスに前期の開始、無事に終われるのか、不安しかない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?