一日が終わるということ

かつて私の働いていたところは、時間の感覚があまりないところだった。
悪名高い裁量労働制とフルフレックスの掛け合せで、定時というものは紙の上の概念でしかなかった。
一日の一応のタイムリミットは日付が変わる頃の終電によってもたらされるものの、度々それすらも捕まえられなくて丑の刻にタクシーで帰宅するはめになり、そんな日は熟睡してしまわないようにフローリングで少し休んで始発で出社したし、もっと切羽詰まっていたときには帰宅せずにフロアに椅子を並べてその上で仮眠をとった。
時間とは、一日とは、仕事とは、区切りのないものだった。
今なら、強制的に一日を早めに終わらすことがたいせつだとわかるが、その時は終わらせないでいられてしまったのだ。

時間が区切りのないものであると、昼も、夜も、分からなくなる。会社はビルの群れの中にあり、ブラインドを締め切ったオフィスには日も差さない。時計の針は、ただの目盛りの意味しかなかったので、時計を勝手に進められたら簡単にそれを今と信じてしまいそうだった。
一日の終わりがわからないものだから、とうぜんに、季節の終わりも始まりもわからなかった。地下鉄は車窓の景色も乗客の様子も代わり映えがなく、出勤途中の桜と銀杏によりかろうじて春と秋はなんとなく知れた。三ヶ月スパンで仕事の入れ替えがあったが、それは周期運動ではあったものの季節感とは連動していなかった。年度末だからといって何が変わるでもなかったし、GWもお盆もクリスマスも、通常の一日と何ら変わらなかった。

ある日、夕飯を買いにでたときのことだ、普通に帰宅するたくさんの人を見て、世の中には仕事に終わりがやってきて明るいうちに帰る人も居るのだと、至極当たり前のことに感心してしまった。その頃から、少しずつ、ざらりとしたものを心の中に感じるようになってきて、吐き気がするようになった。私はきっと羨ましかったのだ。一日が一日としてあることに。

結局私はその仕事を辞め、しばらく休養した。

その後、東京を去り、東北へ帰ってきた。
なによりもまず山があることに、山が見えることに、感動した。これからは時計の針よりも、注目し拠り所とするものがあると思えることは、精神の安定にたいへん寄与した。山岳信仰も、今ならわかる。
そして、水が柔らかいことに感激した。水がいいのは山があるからである。雨や雪をうけとめ、染み込ませ、濾過し、湧かせ、川をつくる。おお牧場はみどりの歌詞はほんとうのことを教えている。身に沁みる。
そして、夜の静寂と、カエルや虫の音、烏やホトトギスの声にも、いちいち驚嘆した。いきものは、当然のこととして一日を生きている。一日を始め、一日を終わらせている。

私は東北の片田舎で生まれ育った。すっかり忘れていた。

一日が終わらない世界では、私は生きることができなかったのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?