縁起物のちから

しばらく前から、家にアマビエだるまがいる。白河だるまのかわいい子。

ウイルス対策としては直接的にはどうにもならないかもしれないが、いつも帰るとほっこりして、心の支えになる。
そんなものが何になる、と思う人もいるだろうが、この「ほっこり」の力はばかにできない。
不安や寂しさが薄れるし、なにより、私は確かに誰かに健康を願ってもらったのだという事実を、毎日胸に刻んで確かめることができる。

世の中でたくさんのアマビエグッズや縁起物が作られ、売り買いされているのを見るにつけ、私はそのむこうにある人々の思いや願いに胸を熱くする。

気持ちを明るくすること、は、生きる上でとても大事なことだ。
ひとはみんなしあわせに生きたいし、しあわせになりたい。
不安なときは、何かを握りしめたい。
だからみんな縁起物と呼ばれるものを買うのだと思う。
お守りとして。こころを明るくするものとして。
自分をしあわせにするものとして。
誰かの祈りや願いの受信機、依り代として。

文学や音楽やアートやお花なんかも、そういうものだと思う。
どれも人がしあわせに生きるために必要だ。
文学や音楽やアートやお花を、何の役に立つのか、まったくいらない、という人がいるけれど、そういう人は、ウイルスに対抗するには特効薬かワクチンしか役に立たない、いらない、と思っている人なんだろう。
自然の摂理や現実世界の残酷な運命に抗うことができない状況で、それでも少しでもしあわせに生きるということを考えたとき、最後に寄る辺となるのは、結局ひとのこころだ。
それがわかっているから、みんな縁起物を買い、ことばを紡ぎ、うたをうたい、音を奏で、アートを欲し、お花を生ける。

そこにほんとうがあると、思っている。


※家にはちなみに赤べこもいる。実家を出てから自分で買った赤べこ。ずっと守ってもらっている。
ガジュマルもいる。
それから、最近おおきなお守りをもらった。
そういうものに囲まれて、今日も守られていると感じながら生きることができるのは、しあわせだ。

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