マジョリティ・マイノリティ

先日、あぁこれぞまさしくマジョリティの暴力だなぁという場面に遭遇した。
会議でとあるアンケートの設問内容を確認していたとき。なんだかなぁと思う内容であったので、私(マイノリティ側)から問題点を述べて変更案も示してみたのだが、相手(マジョリティ側)のうちのひとりは、「こっちは別にこれで困ってないんだけどねぇ」と、やれやれといった感じで、直すとも直さないともはっきりしなかった。
こちらがこれでは困ると訴えた内容に対して、自分たちは困ってないから、と返すのは全く答えになっていないし、まず対等と思っていない、なんなら無視しますという宣言である。呼んでおいて、意見はないかと聞いておいて、これである。もとから聞く気がないなら聞くんじゃないよ、と悪態の一つもつきたくなる。困っていないから、のその先に言おうとしているのは何だ。だから直さない、関係ない、問題ない、ということか。困っているマイノリティの立場では1ミリも考えようとしないところがまったくマジョリティである。

そしてこれもまたよくあることなのだが、回答の選択肢のなかからは、たいてい我々が抜けている。おそらく思いつきもしないのだ。発案者の想定にない。意地悪でわざと抜かしているのではない。もともと思い浮かばない。だから漏れる。そしてそのことにも気づかない。
このようなことは度々あり、今の部署に来た者はみなそれと戦い続けて来ているのだが、悪意なく忘れ去られる、というのを何回も何回も繰り返すうちに、怒りを通り越して指摘するのも疲れてきて、やがて無気力になる。そして、諦めと分断が生まれる。こっちはこっちでやるからもういいよ、と。

文句タラタラ書いてしまったが、自分もマジョリティ側に立つとき、きっとそうなのであろうと思う。そして様々なマイノリティたちもまた、あらゆる場面できっと、そうなのであろうと思う。だからまずは黙って聞け、と思うし、意見を求められるなら言わねばならない、と思う。気を配っていろんな立場の人にひとしく意見を求めなければならない、と思うし、聞いたからには聴かねばならない、と思う。
自戒をこめて。

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