手帳を使えない人

私は、手帳を使えない。

私がこのことを明確に自覚したのは、実にここ数年のことだ。そして、できないことを諦めだしたのは、ここ最近のことだ。

整然と区画された線のなかに丁寧に字を収めることが恐ろしく下手くそだ。最初は頑張ってきれいに書いていても、だんだんど真ん中に走り書きになっていき、そのうち、書きもしなくなって真っ白になる。
こう言ってはなんだが、私のレベルに対して手帳が要求する手間レベルが高すぎるのである。
とにかく、狭い。サイズが小さい、書くスペースが狭い、枠が狭い、文字を小さく書かねばならない、線がある、はみだせない、狭いから細いペンでないといけない、書き直せない、もう、いろいろ、窮屈で要求が多すぎる。
そんなわけで、手帳の類は、これまで一冊たりとも使い切ったことがない。たいてい、数ページ頑張って使って、あとは白紙になる。
白紙のまま使わないでいられるということは、そもそも私に必須なものではない、ということなのだが、そのことに気づくのに実に10年以上かかった。

しかし、だ。私は困ったことに、手帳やノートの類を眺めて買うのは好きなのだ。すごく好きなのだ。
手帳を手にとって眺めている間は、楽しくてわくわくしてかけそうな気がしてくる。次こそは最後まで使えそうな気がしてくる。手帳術の本なんかもペラペラ見て、ふむふむ、と思って、できる、できるぞ、と思って、かなり前に買って、意気込んでしまう。凡例のページを熟読して、余すとこなく使ってやろうという気になって、用もないのに書き込んでみたくなったり、すごく几帳面に隅々まで書いてみたり。でも、これも、ブログの話と同じで、気合を入れすぎるということは、すぐに続かなくなるのである。

これまで、高いものも、安いものも、薄いのも、厚いのも、サイズも中身も実に様々な手帳を買った。ほぼ日とか高橋とかEDITとかDiscoverとか無印とか、有名どころはほとんど買ってみたことがある。しかし、ことごとく、8割以上を白紙のまま葬り去っている。もう、手帳のつくりや中身の良し悪しの話ではない。私には、手帳は向いていない、ということなのだ。

多分私は一生手帳を使えるようにはならない。見て買いたくなっても、決して買ってはいけない。

今どうやってスケジュールやタスクの管理をしているかというと、仕事のスケジュールについては会社のグループウェアを使い、プライベートはスマホでグーグルカレンダーを使っている。進捗管理はA4の裏紙の束にざっと線を引き、一月分を一枚の紙に矢印だけ書いている。個別タスクはまた別のA4裏紙の束にただひたすら殴り書き列挙し、消えてきたら新しい紙に書き直し、古い紙は即シュレッダー行きである。
これまでの試行錯誤の結果、きれいなノートは心情的にきれいに書かねばという気になって使えないということがわかり、いつでも捨てられるA4裏紙に落ち着いた。カッコいい手帳、きれいな手帳にはすごく憧れるんだが、使わなければ意味がなく、使えない私には無用の長物以外の何物でもない。

なぜこんなことを長々と書くかといえば、そろそろ10月始まりの手帳が売り場に並びだす頃なので、間違っても買わないように、という自分への戒めである。
見て楽しみ、使っている未来を想像するまではいい。それを自分でもできると勘違いして買ってしまわないこと。買わない、買わないぞ。無駄にカバンを重くするだけなんだから。

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