仲介

急にいろんなことが加速し始めて、いつの間にか年度末のジェットコースターの坂を上がりきっていることに気がつく。

毎日毎日いろいろなことが起こる。想定されることもあれば、想定外のこともある。守備範囲のこともあれば、たまたま居合わせただけのとばっちりのこともある。

最近は、何かの処理と誰かとの話し合いが3対7くらいの割合である。仕事が事務処理だけならそこまで大変ではないが、議論を要する何かや感情労働の比率が高くてなかなかに疲れる。どれだけ事務処理を効率化させても、疲労度は減らない。それは、疲れない仕事を減らしたぶん、疲れる仕事が拡大するからだ。

疲れる仕事の代表格が、仲介役というか、調停役というか、そういう仕事。
関係者同士のコミュニケーションがうまくいっていないことが多々あり、それぞれから愚痴の入り交じる要望や考えを聞かされる。それをうまく取り持つようなことを、最近はさんざんやっている。
直接やり合わないのは、ずっとそこで長く平和にやっていくためには必要なことなのだろうけれども、そして確かに第三者が間に入ったほうがうまく話が運ぶこともあるのだけれども、仕事なんだし伝聞は意図が不明瞭になるしそれは直接話したほうが良くないか、というようなケースもたくさんある。それで、直接話してはどうですか、とか、一回打合せをセッティングしましょうか、などと提案することもあるのだが、なかなかどうしてそのようにはならない。直接話して議論して、互いに納得の上で何かを決めて、こちらには決まったことを期限内にお知らせなり指示なりしてほしいのだが、そうはならないので困ってしまう。
放っておければよいのだが、決まってくれないとこちらの仕事の完結に差し障りが生ずるので、ある程度介入することになる。こういうのは、本来の仕事ではないかもしれないのだが、得たい結果を得るために必要であれば、それは仕事になってしまう。

なぜ我々には言えて、相手には言えないのか。
結局のところ、見えない脅威が潜んでいるということなのだろう。変に気を遣う奥にある恐れの意識。関係者同士がお互いにうっすらと脅威を感じているように見える。それは立場にくっついている権威だったり、自分の言ったことがブーメランになることへの恐怖だったり、不可侵に踏み入ることではないかという恐れだったり、今後ずっと業界内で続く関係性に致命的な傷を与えないかという心配だったり。
そういうのがなくならない以上、仲介・調停の役目もまた、どこかが担わなければならないのだろうと思う。これはいくらこちらが頑張っても効率化はできない分野だが、そういう仕事も多くある。

しかし、とても疲れる。
隣の研究室が、みんないつからなんでそんなに遠くなってしまうのだろうか。最初からなのだろうか。隣だからこそ遠いのか。

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