【レビュー】光野律子『ミントコンディション』(角川書店)

光野さんはかりんの東京歌会をもう何年もご一緒している先輩ですが、興味・関心の領域がなんとなく僕と近いような気がしています。文学や映画、音楽、絵画、宗教といったモチーフが歌集の随所に散りばめられていて、一筋縄ではいかない印象。歌集で重要なテーマになっている「コロナ禍」や、それ以外の一般的な題材にも、知的なフィルター処理が巧みにかかっていて、ものの見方や考え方に現代的な知性が溢れています。

もっとも、中には常識的な理解に収まる作品もありますが(ある程度編年体が意識されているので、制作時期にも関係があるのでしょう)、それ自体は単独で読んで非常に堅実な歌いぶりであり、歌集全体のバランスの良さにも繋がっていると思います。

「そして誰もいなくなった」ギャラリーに買い手の付かぬヴラマンク掛ける

光野律子『ミントコンディション』

歌集で最も印象的なこの一首は、コロナ禍によって閉鎖に追い込まれていく画廊の運命と、そこで働く自分自身の運命を暗示しており、また、当時随所で言われていた芸術の不要不急論、芸術や文化を軽視し、短絡的な枠組みでしか世界を知覚できなくなっていく社会への不安が現れています。世界を見る枠組みに先行する文化・芸術作品を援用するのは、光野さんの歌の最大の特徴であり、それそのものが現代という反知性的な社会への〈抵抗〉になっているのだと思います。

「そして誰もいなくなった」ギャラリーに買い手の付かぬヴラマンク掛ける

地下のBARアラジンの店主シャッターの前に今日よりカツサンド売る

ギャラリーの薄明かりの下浮かび来るサマリアの女が水汲む版画

はりぼてのヴェスヴィオ火山眺めつつシャンパンを抜く五十代なり

昨日ドバイ今日ブルックリンより注文の入る女の頭部彫刻

清貧のフランチェスコの教会にベンツの数多黒光りして

春の夜の画廊に自称フランドルのネロとう画家の来て華やぎぬ

ラジオからけだるげに「ホテルカリフォルニア」流れたる自宅待機の日々よ

神の国に馬鹿はハッピーエンドだとひとりごつわがイワンよハンスよ

チェーホフの小説のように犬を連れた女性がわれを雇い入れたり

『ミントコンディション』10首選

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