【書評】岩井秀一郎『永田鉄山と昭和陸軍』(祥伝社、2019年)

2019年7月、岩井秀一郎先生が『永田鉄山と昭和陸軍』(祥伝社、2019年)を上梓されました。

本書は、東条英機や石原莞爾などの昭和時代の陸軍軍人としては知名度は高くないものの、「昭和史に関する書籍を繙けば、必ずと言っていいほど、その名が出てくる」(本書、230頁)永田鉄山の足跡を辿りつつ、「陸軍の時代」(同)であった戦前の軍のあり方の一側面を描き出します。

永田鉄山の事績については川田稔の『浜口雄幸と永田鉄山』(講談社、2009年)や『昭和陸軍の軌跡』(中央公論新社、2011年)、あるいは森靖夫の『永田鉄山』(ミネルヴァ書房、2011年)などがあります。そのような中で、永田鉄山の名前を歴史に残すことになる、いわゆる相沢事件に焦点を当てたことに本書の特徴があります。

1935年8月12日に起きた相沢事件という頂点に向かい、殺害された永田の人となりの紹介と殺害した相沢三郎の来歴、あるいは陸軍内における永田の位置や役割、さらに永田を失った後の軍の進路などが複合的に合わさることで、叙述の内容は奥行きを持ち、読者に相沢事件の影響の大きさが力強く訴えかけられます。

特に、第一次世界大戦により、戦争のあり方が根本的に改まり、国家総力戦の完遂のために前線と銃後の一体化が不可欠であることを学び、生前に残したいくつかの論考を通して没後も軍の方針に影響を与えた点(本書、56-57頁)や、陸軍の統制の維持のために「心血を注いだ」(同、95頁)の様子は、永田の存在の大きさを実感するには十分と言えます。

また、万事におおらかで精神論を信奉するものの陸相としては予算獲得能力を欠き、具体的な中身を伴った提案や構想を持たず、その一方で精神論への傾斜や長広舌、さらには青年将校たちの人気を得た荒木貞夫の姿(本書、137-140頁)も、合理的な思考により物事を進めようとする永田との対比を考える上で興味深いものです。

その一方で、相沢三郎の「求道者のような面を持」ち、「礼儀正しく、一途な人柄」でありながら「精神性を重視するために合理的思考に欠け」る面(本書、125-126頁)を描出することは、何故相沢が荒木を頂点とする皇道派に与し、最後は永田の惨殺に至るかを考える上でも重要な伏線をなしています。

もちろん、1914年に始まった第一次世界大戦中の出来事であるにもかかわらず、日本が中国本土のドイツ軍の拠点などを攻撃した際に「清国にある」と1912年に滅んだ清朝の名が記されていたり(本書、55頁)、相沢事件で相沢三郎の弁護人を務めた菅原裕の著書『相沢中佐事件の真相』(経済往来社、1971年)にある「幕僚等の官職に在る者を利用して窃に雷同を図り」の「窃」を「ひそか」ではなく「ぬすみ」にと振り仮名を当てる点などには、再考の余地があるでしょう。

しかし、事務机を隔てて対峙した永田と相沢との間の息をのむ攻防と凶行という結末(本書、16-19頁)を振り返る形で、永田と相沢の人となり、陸軍内の派閥抗争、さらに日本が置かれた国際的な状況といった条件を検討する本書は、一面において小説的な魅力を備え、他面において史料の丹念な調査や関係者への聞き取りの周到さの成果と言えます。

永田の死がその後の陸軍と日本の針路に与えた影響を検討する著者には、統制派の系譜に連なり永田とも親交があり、1942年に香港占領地総督となった磯谷廉介など、「永田没後の陸軍傍流の人々」の研究などでも成果を残すことが期待されます。

その意味で、『永田鉄山と昭和陸軍』は書名にふさわしい視野の広さと、綿密な研究とが絶妙な均衡を保った良書と言えるでしょう。

<Executive Summary>
Book Review: Shuichiro Iwai's "Nagata Tetsuzan and the Showa Army" (Yusuke Suzumura)


Mr. Shuichiro Iwai, a historian, published a book titled Nagata Tetsuzan and the Showa Army from Shodensha on 10th July 2019.

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