慶應義塾高等学校による「107年ぶりの優勝」という歴史的快挙を讃える

本日、第105回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が行われ、慶應義塾高等学校が仙台育英高等学校に8対2で勝利し、優勝しました。

慶應義塾高等学校は前身の慶應普通部が1916(大正5)年の第2回全国中等学校優勝野球大会で優勝して以来、107年ぶり2度目の全国制覇を成し遂げました。

ある大会で107年ぶりに優勝するというのは世界のスポーツ史上でも珍しい事例です。

それでは、107年前の日本の球界の状況はどのようなものであったでしょうか。

大会そのものに関するなら、当時の全国中等学校優勝野球大会の会場は阪神甲子園球場ではなく大阪府の豊中球場でしたし、参加校は全国47都道府県の代表ではなく、各地区の代表など12校でした。

また、日本最初の職業野球団である日本運動協会は結成されておらず、野球と言えば学生野球の時代であり、特に慶應義塾大学と早稲田大学が斯界の覇権を争っていました。

一方、1911(明治44)年には外来の競技である野球の人気の高まりに反感を持った守旧派勢力がいわゆる野球害毒論を提起し、一時は社会問題となったことも、野球の歴史を考える上で見逃せません。

ただし、野球害毒論争については、東京朝日新聞が主導したものの大阪朝日新聞は1915年に全国中等学校優勝野球大会を創設するなど徹底した反対運動ではなかったという点には注意が必要です。

さらには、現在でこそ当然のように思われる米国球界における日本人選手の活躍ではあるものの、1914年に早稲田大学の三神吾朗が有色人種の選手により構成される球団オールネイションズに参加し、日本人として初めて米国の球団に在籍したことを除けば、北米大陸における日本人選手の活躍は限定的でした。

このように107年の間に日本の野球は大きく変わったことが分かりますし、この間野球部が存続し、現在に至るまで活動していることは実に尊敬すべきことです。

それとともに、慶應義塾高等学校の1916年以来2度目の大会優勝は、野球の歴史の研究の上からも興味深い事例となります。

改めて、歴史的快挙を成し遂げた慶應義塾高等学校と、最後まで勝利を目指した仙台育英高等学校の健闘を讃えます。

<Executive Summary>
Miscellaneous Impfessions for the Victory of the Keio High School (Yusuke Suuzmura)

Keio High School defeated Sendai Ikuei High School at the Final Game of the Japanese High School Baseball Championship on 23rd August 2023. On this occasion, we examine the achivement of the Keio based on the viewpoint of Baseball History in Japan.

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