【評伝】トミー・ラソーダさん--「ドジャー・ブルーの血」の流れたロサンゼルス・ドジャースの象徴

現地時間の1月7日(木)、ロサンゼルス・ドジャースの元監督のトミー・ラソーダさんが逝去しました。享年93歳でした。

1945年にフィラデルフィア・フィリーズと契約してD級コンコード・ウィーバーズに参加した後、1947年までの兵役を終えて1949年からブルックリン・ドジャースに移籍したのが、投手としてのラソーダさんがドジャースの一員となった第一歩でした。

大リーグに昇格したのは1954年であったものの定着することが出来ず、通算3季、26試合に登板して0勝4敗、防御率6.48という成績であったラソーダさんは、投手としては顕著な実績を残しませんでした。

この間、カンザスシティ・アスレティックス、ニューヨーク・ヤンキースに移籍しており、ヤンキース傘下のAAA級デンバーでラルフ・ハウク監督の薫陶を受けたことが、ラソーダさんにとって大きな転機となりました。

すなわち、1961年にヤンキースの監督となるハウクは、ラソーダさんに対して「選手たちに人として接すれば、彼らはスーパーマンのようにプレーするだろう」と教えたのでした[1]。

前後14年にわたる現役生活を1960年に終えたラソーダさんは、ドジャースの元二塁手で当時は球団のスカウト部長を務めていたアル・キャンパニスによってスカウトに採用され、1965年にルーキー・リーグのポカテッロの監督に就任してから指導者の道を歩み始めました。

その後、マイナー・リーグ各級の監督やドジャースの三塁コーチを歴任し、1976年には公式戦終了直前に勇退したウォルター・オルストンの後を継いでドジャースの監督に就任しました。

ドジャースを率いたラソーダさんは1996年7月29日までの21季で2度のワールド・シリーズ優勝を含め、リーグ優勝4回、地区優勝8回、通算3038試合で歴代22位となる1599勝を記録し、前任のオルストンとともにドジャースの最盛期を築きました。

特に、マイナー・リーグでの選手経験やスカウトとしての知見も活かし、短期的な成績のいかんを超えて積極的に若手選手を起用したのはラソーダさんの特徴の一つでした。

こうした選手の起用法の結果は、本格的に采配を振るい始めた1977年から1996年までの20季の間で、1992年のエリック・ケアロスから1996年のトッド・ホランズワースまで5季連続を含む9人の新人王を輩出したことが示す通りです。

監督を退任した後も球団副社長や最高顧問を歴任するなど、経営権がオマリー家を離れてからもドジャースの象徴として球界から尊敬を集め、1997年に野球殿堂に選出されました。

1959年1月1日、キューバで開催されたウィンターリーグに参加していたために、フィデル・カストロがハバナを占領した際にハバナに滞在しており、フルヘンシオ・バティスタ大統領が亡命する飛行機を目にするなど、野球以外の面でも歴史の証人の役割を果たしたラソーダさんのご冥福をお祈り申し上げます。

[1]Bill Plaschke, I Live for This: Baseball's Last True Believer. New York: Houghton Mifflin Company, 2007, p. 85.

<Executive Summary>
Critical Biography: Mr. Tommy Lasorda, An Icon of the Los Angeles Dodgers with Dodger-Blue Blood (Yusuke Suzumura)

Mr. Tommy Lasorda, a former manager of the Los Angeles Dodgers and a member of the National Baseball Hall of Fame, had passed away at the age of 93 on 7th January 2021. Mr. Lasorda was an icon of the team and a well-known person who had "Dodger-Blue Blood".

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