【評伝】フジコ・ヘミングさん--様々な困難を乗り越えた「魂のピアニスト」

去る4月21日(日)、ピアノ奏者のフジコ・ヘミングさんが逝去されました。享年92歳でした。

幼少期からピアノ奏者として頭角を現していたものの16歳の時に病気で右耳の聴力を失い、29歳で渡独し、バーンスタインやマデルナの知遇を得て本格的な演奏活動を始めようとしたものの風邪が原因で一時的に左耳の聴力をも失うなど、ヘミングさんは様々な困難に見舞われます。

その後、一時はピアノの教師をする傍らで清掃員を務めるなど、演奏活動からは遠ざかります。

しかし、一見すると遠回りに見えた過程が、その後の演奏に幅と厚みを加えることになりました。

すなわち、ヘミングさんは「若いときはうぬぼれたが、世間を渡り、人の演奏をいっぱい聴いて自分の力が分かった」[1]のでした。

1995年に日本に帰国し、1999年2月11日(木)に教育テレビの『ETV特集』で半生を取り上げた「フジコ~あるピアニストの軌跡~」が放送されると、ヘミングさんの音楽活動への関心が高まり、公演や録音は注目を集めます。

そして、2000年代に入ると国内外で精力的に演奏活動を行い、過酷といっても過言ではない経験に支えられた演奏は、情感豊かな表現力によって高い評価を得ることになります。

このようにしばしば「魂のピアニスト」と呼ばれる背景には、労働によって鍛えられた指を使った、ヘミングさんの生活に即した音楽があったのでした。

「早熟の天才」と呼ばれながら労苦の時を経ることを余儀なくされ、晩年に大成したことは、ヘミングさんの懐の深い演奏に繋がるものでもありました。

そのようなヘミングさんの音楽の魅力は、1954年にNHK毎日コンクールのピアノ部門で2位となり、同じくヴァイオリン部門で2位となった黒沼ユリ子さんによる、次のような評価が何よりも力強く、われわれにとって印象深いものとなります。

ステージで弾く彼女の音楽が並はずれて感情の起伏を伝えるものであったり、天衣無縫さ、素直で自然体な人格に私は共感を覚えてしまった。[2]

改めてご冥福をお祈り申し上げます。

[1]フジ子・ヘミングさん. 日本経済新聞, 2001年12月10日夕刊1面.
[2]黒沼ユリ子, 演奏旅行で得た友人. 日本経済新聞, 2001年6月23日朝刊31面.

<Executive Summary>
Critical Biography: Ms Georgii-Hemming Ingrid Fuzjko--A Pianist Who Overcome a Difficult Date (Yusuke Suzumura)

Ms Georgii-Hemming Ingrid Fuzjko, a pianist as known as Fujiko Hemming, had passed away at the age of 92 on 21st April 2024. Ms Hemming was a pianist who had to face and overcome a difficult fate and finally achieved the efforts.

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