論文"Declaration of Victory: The Meaning and Achievements of the Stanford University Baseball Team's 1913 Tour"の草稿のご紹介(10)

昨年12月、ロバート・フィッツ、ビル・ナウリン、ジェームズ・フォーの各氏の編纂した書籍"Nichibei Yakyu: US Tours of Japan"の第1巻がアメリカ野球学会(SABR)から刊行され、私も論文"Declaration of Victory: The Meaning and Achievements of the Stanford University Baseball Team's 1913 Tour"を寄稿しました。

今回は、論文の日本語版草稿のご紹介の第回10目となります。


なお、この試合では、スタンフォード大学が2対1で迎えた9回裏に慶應義塾の三宅大輔の本塁への帰還を巡り、球審の小山万吾の判定の是非か否かが問われて一時試合が中断している。

最終的に小山の判定通りセーフとなり、試合は2対2となって延長戦を行うこととなった。この時のスタンフォード大学側の態度については「米国紳士の気質により、くどくどと争わず、三宅の生還を認めたのは度量の大きさを示したものである」[31]と称賛されたものの、スタンフォード大学が格下と思われた慶應義塾に対して決定力を欠いていたことを物語っている。

実際、スタンフォード大学が慶應義塾と対戦した8試合で記録した安打は58,得点は34で、それぞれ慶應義塾に比べ24安打、14得点多かった(Table 3)。

しかし、勝敗はスタンフォード大学が5勝、慶應義塾が3勝であった。そのため、スタンフォード大学は打撃力で慶應義塾に勝っていたものの、投手力と守備力を含む総合力では、両者は拮抗していたと考えられる。

Table 3 The Results of the Games between Stanford University and Keio University.

このように、来日時は大きく注目されたスタンフォード大学ではあったものの、各校との試合が進むにつれて新聞の報道の扱いは小さくなり、一戸の帰国を報じる記事は紙面の最下段の片隅に掲載されるのみとなったのであった[32]。

[31] 「日米野球戦(初日)」『東京朝日新聞』、1913年5月30日5面。
[32] 「ス軍最後の勝利」『東京朝日新聞』、1913年6月28日朝刊5面。


<Executive Summary>
Draft of Artcile: Declaration of Victory: The Meaning and Achievements of the Stanford University Baseball Team's 1913 Tour (X) (Yusuke Suzumura)

My article "Declaration of Victory: The Meaning and Achievements of the Stanford University Baseball Team's 1913 Tour" is run on Nichibe Yakyu edited by Robert K. Fitts, Bill Nowlin, and James Forr published in December 2022. On this occasion, I introduce the Japanese draft to the readers of the weblog.

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