「1994年の中音」から30年目によせて

本日、1994年1月15日(土)に東京文化会館大ホールにおいて平成5年度東京都高等学校総合文化祭音楽部門中央大会(中音)が開催されてから30年が経ちました。

私は、このとき第2地区による管弦楽として、青山、駒場、新宿、戸山、学芸大学附属の5校の皆さんとともに出場し、チャイコフスキーのスラヴ行進曲を指揮しました。

8月に行われた指揮者と曲目の選考に始まり、顔合わせ、初練習、そして毎回の練習は、それらのいずれもが私にとって有益な体験でした。

特に、青山高校の体育館での練習の際、半面をバレー部の皆さんが使用し、防護ネットを隔ててわれわれ2地区オケが練習をしたのは、1985年に竣工した現在の青山高校の体育館の利用の歴史の中で、唯一の事例となります。

また、学芸大学附属高校の講堂は出演者全員を収容できる広さがあるということで、練習を行う上で重要な施設でした。

しかし、冬季休業中の利用のため暖房設備を使用できず、持参した昼食用のおにぎりが凍り付いたことも、今では愉快な思い出です。

あるいは、駒場高校を利用した際は、校地の広さがひときわ印象的で、体育祭の時には校庭の対角線上に線を引いても「100m」ではなく「100ヤード」となった青山高校との違いに驚いたものでした。

実際の演奏も、回数こそ10回ほどであったものの皆さんの反応の良さもあって毎回限られた時間の中で効果的な練習を行うことが出来ました。

本番は序盤で第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの速度感の違いというそれまでの練習では見られなかった出来事があったものの、当日参加した団体の中で最も人数の多いい2地区オケの名にふさわしい、充実したものになったと感じられました。

この30年間で参加者の規模はさらに増え、取り上げる曲目も多岐にわたります。

それでも、一人ひとりの参加者の真摯さは昔も今も変わらず、2地区オケそのものも中音の象徴的な存在として活躍しています。

今度も、東京都の高等学校における音楽文化の振興のために中音の果たすべき役割は大きく、その一層の発展が願われます。

<Executive Summary>
Miscellaneous Memories of the Central Convention of Tokyo Metropolitan High School Culture Association, Division of Musical Arts of 1994 (Yusuke Suzumura)

The 15th January, 2024 is the 30th Anniversary of the Central Convention of Tokyo Metropolitan High School Culture Association, Division of Musical Arts of 1994. On this occasion, I remember miscellaneour memories of the convention.

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