【評伝】武村正義氏--少数で多数を動かした一代の政治家

去る9月28日(水)、新党さきがけの代表や大蔵大臣、滋賀県知事などを歴任した武村正義さんが逝去しました。享年88歳でした。

自治省から滋賀県知事を経て衆議院議員となり、政治改革の実現を標榜して所属していた自民党を離党し、新党さきがけを結成して1993年の細川護熙政権で官房長官に就任し、衆議院の小選挙区比例代表並立制の導入に尽力したことは周知の通りです。

また、細川首相や新生党の小沢一郎代表幹事といわゆる国民福祉税構想を巡って対立し、「過ちは改めるにしくはなし」と発言して構想の撤回に追い込んだことや、1996年の旧民主党結成時に村山富市前首相とともに鳩山由紀夫氏や菅直人氏から入党を拒否されたことも、日本の20世紀末の政治史を振り返る際に欠かすことのできない出来事でした。

武村氏はその鷹揚な風貌から「ムーミンパパ」として親しまれたものの、青年期は共産主義に傾倒し、後に「政界のフィクサー」として知られた四元義隆の教えを受けて禅に親しむなど、一筋縄では行かない経歴を持つ人物でもありました。

こうした対外的な印象と、新党さきがけという少数の勢力で自民党という多数党を妥当する政治的な手腕との不一致こそは、武村氏の政治家としての真骨頂であり、最大の強みであったと言えるでしょう。

それとともに、しばしば誤解されるものの、武村氏が自民党を離党したのは宮澤喜一内閣への不信任案には反対票を投じた後であり、自民党の一員である間は自党出身の首班を支持し、離党後に自民党政権の打倒に邁進するというように、政党人として一貫した行動をとった点は忘れることが出来ません。

政治改革を変わらぬ政策として掲げ続け、成功も挫折も体験しつつ一時は権力の頂点に立った武村氏は、たとえ武村氏が再び政界の第一線に立つとしても実現することが難しいきわめて特殊な事例であったかもしれません。

それでも、政権の奪取のためには主義主張を改め続けることが当然の、そして現実的な態度となったかの感のある今日の政治家にとって学ぶべきところのおおい存在であることに変わりはありません。

改めて一代の政治家であった武村正義氏のご冥福をお祈りします。

<Executive Summary>
Critical Biography of Mr. Masayoshi Takemura (Yusuke Suzumura)

Mr. Masayoshi Takemura, a Former Finance Minister and President Shinto Sakigake, had passed away at the age of 88 on 28th September 2022. In this occasion we examine the life of Mr. Takemura.

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