舞台俳優としての矜持を示した山﨑努さんの「私の履歴書」

去る8月31日(水)、俳優の山﨑努さんが担当した日本経済新聞の連載「私の履歴書」が終了しました。

11歳で父を亡くし、苦しい家計を助けるために新聞配達、牛乳配達、納豆売りとよりよい収入を求めてアルバイトを変えていた少年が東京都立上野高等学校や幹部に在籍中に映画鑑賞を始めるとともに、友人の影響で新劇を鑑賞して俳優を目指す様子や、俳優座附属俳優養成所を振り出しに文学座と劇団雲を経て独立し、舞台、映画、テレビで活躍する様子は、戦後の日本の演劇史の一断面を知るための貴重な記録となっています。

特に、芥川比呂志、小池朝雄、岸田今日子といった戦後の新劇を代表する俳優との劇場の内外での関わりや一つの舞台を作り上げるための過程の描写などは、当事者のみが書きうる、臨場感あふれる内容です。

また、連載第1回目に記された次の内容[1]は、山﨑さんの俳優としての活動を貫く原則として揺らぐことなく現在に至っていることが随所に見出されます。

役は自分でチョイスするものではない。誰かプロデューサーでも演出家でもいいが、とにかく他人が決定してくれなければならない。突然天から降ってくるように与えられるべきなのだ、と思う。実人生で山崎という家の努くんとして出現したように。

この箇所に続けて「実人生と俳優業の原理は似ている。そこがおもしろい。」と記すところは、山﨑さんの演劇に対する接し方を象徴する、きわめて興味深いものです。

すなわち、当たり役の一つである「念仏の鉄」の特徴的な衣装が生まれた遠因が幼少期の体験にあることや黒澤明監督の『天国と地獄』(1963年)で誘拐犯を演じた際、権藤金吾(三船敏郎)と刑務所の金網越しに対面する場面の撮影時に演技の最後に感極まって立ち上がり、金網を握ったものの、金網が照明の熱で焼けていたために指に火傷を負ったことなどは、山﨑さんにとって演者と役柄の境目が限りなく低いことを示す好例となっています。

一方で、文学座や劇団雲の時代の経験や俳優で演出家のテレンス・ナップ氏との交流など、連載の大半を占めるのは、舞台俳優としての話題です。

これは、山﨑さんをテレビドラマや映画によって知った読者にとっては物足りないものであろうものの、山﨑さんが自らの舞台俳優として規定していることを示していることに他なりません。

誰もが歩む道を嫌い、自分自身のあり方を常に模索してきた山﨑さんらしい話題の選択は、われわれに一人の俳優の持つ奥行と幅の広がりを伝えます。

その意味でも、今回の連載が一日も早く単行本として刊行され多くの人の手元に届くことが期待されます。

[1]山﨑の努. 日本経済新聞, 2022年8月1日朝刊32面.

<Executive Summary>
Tsutomu Yamazaki and Half His Life Seen from "My Résumé" (Yusuke Suzumura)

Mr. Tsutomu Yamazaki, an actor, wrote My Résumé on the Nihon Keizai Shimbun from 1st to 31st August 2022.

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