【評伝】石原慎太郎氏--一時代を画した人物の見果てぬ夢

本日、芥川賞受賞作家で東京都知事や運輸大臣などを歴任した石原慎太郎氏が逝去しました。享年89歳でした。

1956年に小説『太陽の季節』で芥川賞を受賞するとともに、同年に映画化され、夏の浜辺に放埓で享楽的な行動をとる若者が「太陽族」と称されるなど、石原氏が作家として活躍したことは周知の通りです。

その後、活動の場を文壇から政界に移した石原氏は、1968年に当時の参議院全国区から出馬して史上初めて300万票を集めて当選し、自民党に入党します。1972年に衆議院に鞍替えし、中川一郎、渡辺美智雄ら党内右派の若手議員らと青嵐会を結成して活動したことも広く知られるところです。

政治家としての石原氏は1975年の都知事選に出馬して美濃部亮吉氏に敗れ、一時は石原グループを率い、1989年の自民党総裁選に立候補するものの海部俊樹氏の後塵を拝し、さらに1995年には在職25年の表彰の直後に議員を辞職するなど、知名度と行動力の高さの一方で具体的な成果を収める機会は必ずしも多くはありませんでした。

その様な石原氏が再び人々の注目を浴びたのは東京都知事に就任した1999年のことでした。

首都機能の移転への反対に象徴される「日本の首都としての東京」を重視する態度は、東京都の知事としてふさわしいものであったと言えるでしょう。

一方で、新銀行東京の設立や東京オリンピックの招致など、長期的な展望ないし理念に欠ける政策を行ったこと、さらに2012年10月に任期途中で都知事を辞任し国政に復帰したことは、石原氏のある種の便宜主義的な態度を象徴的に示すものでした。

例えばいわゆる「都立高校改革」は進学指導重点校、進学指導特別推進校、中高一貫校などの導入により、上位の都立高校の活性化をもたらすという功績があったものの、中堅ないし下位校との格差の拡大を生み出したのは、公教育のあり方への十分な洞察を欠いた結果であったことを推察させます。

しかし、ディーゼル車規制や残飯などの生ごみを栄養源として増加したカラスの生息数を抑制するといった政策は、東京都の会計制度に複式簿記と発生主義を導入したことと合わせ、都民の生活に密接した、石原氏の重要な功績と言えます。

毀誉褒貶が絶えはなかったとはいえ、作家としても政治家としても一時代を画した石原氏は日本の政治の歴史の中でも稀有な存在であり、今後同様の人物の登場を期待することが難しいほどの傑物でもありました。

<Executive Summary>

Critical Biography: Mr. Shintaro Ishihara, Famous Person's Impossible Dreams (Yusuke Suzumura)

Former Tokyo Governor Shintaro Ishihara had passed away at the age of 89 on 1st February 2022. Mr. Ishihara has a name as an outstanding author and remarkable politician, but he could not achieve his efforts in many fields.

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