「原爆投下から77年目」の長崎平和宣言が示した意味は何か

本日、1945年8月9日に長崎県長崎市に原子爆弾が投下されてから77年目を迎え、平和記念公園において長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が開催されました。

式典では長崎市の田上富久市長が長崎平和宣言を読み上げ、市民社会が戦争の温床にも、平和の礎にもなり得えることをしてきするとともに、日本政府と国会議員に対して国際社会の中で平時から平和外交を展開する主体性の発揮を期待すること、さらに核に頼らない議論の先導を望むこと、そして長崎市が「平和の文化」をはぐくむ努力を行うことなどを指摘しました[1]。

今回の宣言では、特に核による抑止力という考えの持つある種の矛盾が強調されています。

すなわち、宣言の中では次のように記されています。

今年1月、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の核保有5か国首脳は「核戦争に勝者はいない。決して戦ってはならない」という共同声明を世界に発信しました。しかし、その翌月にはロシアがウクライナに侵攻。核兵器による威嚇を行い、世界に戦慄を走らせました。
 この出来事は、核兵器の使用が“杞憂”ではなく“今ここにある危機”であることを世界に示しました。世界に核兵器がある限り、人間の誤った判断や、機械の誤作動、テロ行為などによって核兵器が使われてしまうリスクに、私たち人類は常に直面しているという現実を突き付けたのです。

ネヴィル・シュートが1957年に発表した小説"On the Beach"では、大国だけでなく小国も「安価な兵器」としてコバルト爆弾を所有できる状態になったことが約40日にわたる北半球での戦争によって4700発の核爆弾の使用と人類の滅亡という最悪の事態を招いたことを、恬淡とした筆致で描き出します。

もとより、小説の中の架空の出来事と現実の紛争や核抑止力の問題は自ずから異なります。

しかし、「北半球の風は南半球には吹き込まないから安全」「放射性物質は赤道を超えると急速に希薄化する」といった楽観的な観測が事実と異なり、人々が「南半球では核爆弾なんて1発も使われていないのに、どうして」と遠くでの出来事のもたらす残酷な状況に時に憤慨し、時に落胆したように、「核抑止力があるから」という考えがロシアによるウクライナへの侵攻の過程で裏切られたことは、今回の平和宣言が現実に起きている問題を通していかにして世界の平和を維持しようとしているかを示すものです。

その意味で、ある意味で当然と言える内容とも思われる今回の長崎平和宣言は、当然のことを当然のこととして明言するという点において、重要な役割を果たしているのです。

[1]令和4年 長崎平和宣言. 長崎市, 2022年8月9日, https://www.city.nagasaki.lg.jp/heiwa/3070000/307100/p036984.html (2022年8月9日閲覧).

<Executive Summary>
What Is an Immportant Meaning of the Peace Declaration by the City of Nagasaki at the Nagasaki Peace Memorial Ceremony of 2022? (Yusuke Suzumura)

The 9th August 2022 was the 77th anniversary of the atomic bombing of Nagasaki and Mr. Tomihisa Tagami, the Mayor of the City of Nagasaki, declared the Peace Declaration. In this time we examine a meaning of the declaration.

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