論文"Declaration of Victory: The Meaning and Achievements of the Stanford University Baseball Team's 1913 Tour"の草稿のご紹介(1)

昨年12月、ロバート・フィッツ、ビル・ナウリン、ジェームズ・フォーの各氏の編纂した書籍"Nichibei Yakyu: US Tours of Japan"の第1巻がアメリカ野球学会(SABR)から刊行され、私も論文"Declaration of Victory: The Meaning and Achievements of the Stanford University Baseball Team's 1913 Tour"を寄稿しました。

本論の執筆に際しては、最初に日本語による草稿を作成し、その後英文にまとめました。

最終的に刊行された論文は草稿の内容と異なります。

しかし、草稿にもいくつかの重要な議論が含まれていると考え、今回から順次その内容をご紹介します。


必勝を揚言す--スタンフォード大学野球部の1913年の来日が持つ意味と成果
鈴村裕輔

慶應義塾がスタンフォード大学野球部の招聘を発表したのは、1913年3月31日だった[1]。

スタンフォード大学野球部は、日本の野球界の発達と深く関わる。すなわち、日露戦争後に早稲田大学が米国遠征を計画して米国の各大学に交渉すると、最初にその申し出に応じたのがスタンフォード大学だった。

スタンフォード大学が早稲田大学の要望を引き受けた理由の一つは、同大学に森久保善太郎が在籍し、両大学間の交渉を斡旋したためだった[2]。森久保は衆議院議員・森久保作蔵の息子で、後に大日本体育協会委員となり、1916年に発足した日本審判協会(日本における野球規則の制定の主導を目指す機関)の委員に就任しており、野球界と関係の深い人物だった[3]。

1905年に渡米した早稲田大学は、スタンフォード大学と2回対戦し、いずれの試合でも敗北している。勝敗を決したのは、早稲田大学の野球が球を投げ、打つという初歩的な段階にとどまっていたのに対し、スタンフォード大学が野球を組織的、体系的に行っていたためである[4]。

米国西海岸の大学野球界では、セントメリーズ、サンタクララが双璧をなし、スタンフォードはカリフォルニア、ワシントンの両大学とともに両大学に次ぐ位置にあった。そして、スタンフォード大学はこれらの大学との試合に勝利して来日したため、慶應義塾は「多分負けるであろうと、予想されていた」[5]のである。

[1]「慶應のス大学招聘」『東京朝日新聞』、1913年4月1日5面。
[2] 橋戸頑鉄「日本に縁の近いティーム」『野球界』第3巻第8号、1913年、2-3頁。
[3] Sheng-Lung Lin (2012). Samurai baseball culture in Taiwan during the period of Japan's colonization. Waseda University, Doctoral Dissertation, pp. 102-103.
[4]橋戸、前掲論文、3頁。
[5]同、3-4頁。


<Executive Summary>
Draft of Artcile: Declaration of Victory: The Meaning and Achievements of the Stanford University Baseball Team's 1913 Tour (I) (Yusuke Suzumura)

My article "Declaration of Victory: The Meaning and Achievements of the Stanford University Baseball Team's 1913 Tour" is run on Nichibe Yakyu edited by Robert K. Fitts, Bill Nowlin, and James Forr published in December 2022. On this occasion, I introduce the Japanese draft to the readers of the weblog.

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