二・二六事件と軍部の政治への介入の本格化

去る2月26日(金)、1936(昭和11)年2月26日に二・二六事件が起きてから85年が経ちました。

二・二六事件前後の日本の政党政治の展開と衰退については、2月26日の本欄でご紹介した通りです[1]。

ところで、二・二六事件を契機とする軍部の政治への本格化については、中西満貴典先生のご著書『プロ野球の誕生 迫りくる戦時体制と職業野球』(彩流社、2020年)に小論「二・二六事件と軍部の政治への介入の本格化」を寄稿しました[2]

そこで、今回、以下に「二・二六事件と軍部の政治への介入の本格化」をご紹介いたします。

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「二・二六事件と軍部の政治への介入の本格化」
鈴村裕輔

1936(昭和11)年2月26日、いわゆる皇道派の影響を受けた陸軍の青年将校が「昭和維新」の実現を目指して蜂起する2・26事件が起きた。

事件から3日後の2月29日に反乱軍は鎮圧され、香田清貞歩兵大尉ら首謀者や、青年将校の理論的指導者であった北一輝らが叛乱罪を適用されて死刑に処せられ、皇道派関係者も処分された。この結果、陸軍内部では皇道派と対立していた統制派が実権を掌握した。また、3月9日には岡田啓介内閣が総辞職し、新たに岡田内閣の外務大臣であった広田弘毅が首相に就任した。

広田内閣は、1932(昭和7)年5月15日に海軍青年将校が犬養毅首相を暗殺した5・15事件で犬養毅内閣が退陣し、前朝鮮総督の斎藤実が首相に就任して以来、4年ぶりの文官による内閣であった。だが、軍部が人事に介入したために広田による閣僚の人選が難航したことは、2・26事件を経て、軍の統制を理由に軍部が政治的発言権を向上させたことを示していた。

また、かつて1913(大正12)年と1924(大正13)年の2度にわたって憲政擁護運動を展開した政党側は、ついに第三次憲政擁護運動を起こすことが出来なかった。何故なら、5・15事件や2・26事件が象徴するように、特に軍部や国会改造主義者の間に政党政治や政党勢力に対する批判が根強かったからである。

こうして、1924年に始まった政党内閣制は完全に崩壊し、軍部による政治への介入と総力戦体制の確立が粛然と進められることになったのであった。
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[1]鈴村裕輔, 二・二六事件の発生から85年目に振り返る戦前の政党政治の展開と衰亡. 2021年2月26日, https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/76353/dde8eddb5ee9c92bb329cd78f742a4f2?frame_id=435622 (2021年3月4日閲覧).
[2]鈴村裕輔, 二・二六事件と軍部の政治への介入の本格化. 中西満貴典, プロ野球の誕生 迫りくる戦時体制と職業野球. 彩流社, 2020年, 223頁.

<Executive Summary>
The 26th February Incident and Military Intervention in Politics (Yusuke Suzumura)

The 26th February, 2021 is the 85th anniversary of the 26th February Incident occurred in 1936. In this occasion we introduce my past essay entitled with "The 26th February Incident and Military Intervention in Politics" run on a book The Birth of the Professional Baseball written by Dr. Mikinori Nakanishi published in 2020.

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