伊東豊雄さんが「私の履歴書」で示した「国立競技場問題」と日本の建築界の構造的な問題点

2023年7月期の日本経済新聞の連載「私の履歴書」は建築家の伊東豊雄さんが担当しています。

「間のための建築や町」を自問し、自らの活動の基本に据える伊東さんのお話は、戦後の日本の建築の発展の歴史をも伝えており、大変興味深いものです。

そのような伊東さんの連載の中でも私の注意を惹きつけたお話の一つが、「東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会」の主会場である国立競技場を巡るものでした[1]。

伊東さんは2012年と2015年の2度にわたりコンペティションに応募し、いずれも敗退しています。

そのような経験を持つ伊東さんによれば、結果的に1回目となる2012年のデザインコンクールは、実現可能な提案ではなく国際的なアピール力のある「イメージ」が要求されました。

そのため、国際オリンピック委員会の基準である8万人の観客を収容するには敷地が狭隘すぎたり、応募資格が厳格に過ぎて参加できる建築家が限られたりするなど、現実味を欠く状況の下で行われ、後に勝者であったザハ・ハディド氏の案が巨額の建設費などを理由に批判されたのも無理からぬものだとされます。

また、ハディド氏の案を撤回されると伊東さんは既存の国立競技場の改修案を発表し、大会組織委員会にも提案書を送ったものの一顧だにされず、競技場が取り壊されるとともに2015年9月に2度目のコンペティションの募集要項が示されました。

すでに第1回目で敗退し、改修案も無視されていることを踏まえ「もう関わらない方がいい」という助言もある中で、伊東さんは検討を重ねて最善の提案をできる自信もあったため、参加を決めたとのことです。

大会の開催時期が迫っているということもあり、コンペティションでは設計者と施工会社が一体で応募するデザインビルドという方式が採用されたため、施工会社が見つからず参加を断念した建築家が相次いだ中で伊東さんは竹中工務店、日本設計、清水建設、大林組とともに応募します。

そして、隈研吾さんと大成建設及び梓設計による「A案」と一騎打ちになった伊東さんの「B案」は610点対602点という審査会の評価により、再び敗れたのでした。

後期を遵守した提案にもかかわらず工期部門で「A案」よりも27点低い評価が与えられたことへの不信感は強く、伊東さんは「いまも納得がいかない」と批判します。

あるいは、国が事前に送付した質問状には、提案への思想は一切問われておらず、建材の入手方法や工程管理の計画などが問われるばかりであり、管理主義的な締め付けはあっても創造的な建築を生む意思を欠くことが示唆されています。

こうした批判からは、一連の国立競技場問題が建築家の視点から明らかにされるとともに、特に第2回目のコンペティションの審査が公平さを欠くものであったことを推察させます。

もとより、こうした批判については、もう一方の当事者である隈研吾さんの見解を知らねば、中正な判断を下すことは出来ません。

それでも、アジアを含む海外の氏名コンペティションでは準備のための参加費が2000万円程度出されることも珍しくない一方で、日本ではほとんどなくい、創造行為に対する支援の貧弱さと、そのような状況が有意な建築家の育成を妨げるという指摘は、日本の建築界が持つ構造的な問題を知る上でも重要な手掛かりを提供します。

その意味でも、伊東豊雄さんの今回の記事は、国立競技場問題という人々の耳目を集めた問題が決して一過的なものではなく、むしろ日本の建築を取り巻く様々な課題が濃縮された形で明らかにされたことを伝える、意義深いものであると言えるでしょう。

[1]伊東豊雄, 国立競技場. 日本経済新聞, 2023年7月29日朝刊44面.

<Executive Summary>
Professor Toyoo Ito Points Out Important Viewpoints of the Issues in Japanese Architectural World (Yusuke Suzumura)

Professor Toyoo Ito, an architect, writes My Résumé on the Nihon Keizai Shimbun from 1st Julu 2023. Today Professor Ito dealts a topic concerning the "Japan National Stadium Issues".

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