見出し画像

世界を拓こう。【真珠のはなし・後半】

長くなってしまった真珠の話。前回は真珠のできかた、ボディカラーとオーバートーン、真珠層について、そして真珠光沢を絵に描くことについて、わたしが考えていることなんかを書いた。

今回は2回にわけることにしたため、こちらのエントリは後半。英国の文豪についてと、真珠貝から養殖真珠を取り出す話など。

◆◇◆

ロンドンのバスや地下鉄でつかえるプリペイドカードは、オイスターカードという名前だ。もう10年以上も前のことだけど、ロンドンに滞在したおりに大活躍した。わたしは牡蠣オイスターが好きなので、このネーミングがなんとなく気に入っていた。どうしてオイスターカードなのか不思議に思って英国人の友人に尋ねたら、「World is mine oyster の oyster だ」とのことだった。

わたしには意味がわからなかった。シェイクスピア作品にある言葉だという。わたしは手塚漫画の影響でシェイクスピアが好きだ。シェイクスピアの戯曲はいくつか読んではいたけれど、いずれも日本語訳だった。

World is mine oyster, which I with sword will open.

『The Merry Wives of Windsor』より

これがフルセンテンス。世界をoyster(貝)に喩え、剣でこじ開けようと言うセリフだ。シェイクスピアが書いてから400年あまりが経った。古風な初期近代英語の表現のまま慣用句になっている。

世界をこじ開ける、つまり自ら未来を切りひらくこのニュアンスを、公共交通をつかって移動することに掛けている。なんたるネーミングセンスか。ロンドン交通局、さすがは英国だ。日本のSUICAやICOCAの語呂合わせも良いけど、カードの名前にも歴史と文化にたいする敬意と教養がこめられている。マインド・ザ・ギャップ!英国と日本のセンスのギャップが交通系カードに現れるとは。とても感心した。

それ以来、わたしはこの一文が気に入った。一時期SNSのプロフィールにも書いていたほどだ。

それから何年か経って、このWorld is mine oyster…の出典元『ウィンザーの陽気な女房たち』(松岡和子訳、ちくま文庫)を読んだ。

ちなみに翻訳者の松岡和子氏は昨年シェイクスピア作品の全訳という偉業を達成されている。下のリンクは筑摩書房の特集サイト。

松岡氏の翻訳では以下のように書かれていた。

フォルスタッフ てめえなんぞにビタ一文貸せるかってんだ。
ピストル 止むを得ん、貝に見立てた世間の口を、この剣でこじ開け、中の真珠を頂戴するか。

『ウィンザーの陽気な女房たち』(シェイクスピア著 松岡和子訳)より

悪党フォルスタッフの子分ピストルが金の無心をする場面。断られた際、こじ開けてでも・・・と恫喝して言ったセリフだ。ちょっと強引すぎて、なんだかわたしの想定していた場面とは違うなと思い、SNSプロフィールからは引っ込めてしまった。

それよりも気になったのは「中の真珠を頂戴するか」の部分。劇中、このピストルという登場人物はなにかと芝居がかった大袈裟な言い回しをする。わたしはてっきり食用の牡蠣のつもりでいた。Oysterは牡蠣のことだけど、真珠貝はpearl oyster。なるほどお金の話なのだから、食べる牡蠣よりも真珠貝のほうがしっくりくる。

『ウィンザーの陽気な女房たち』はめずらしくシェイクスピアにとって同時代の設定だ。その16世紀の英国宮廷では真珠が流行していた。なおさらこのセリフは真珠貝についてでなければならないような気がする。

真珠を筆頭に宝石をあしらった豪華な装身具は、中世にはおもに聖職者のものだった。ルネサンスを経て近代化がすすむ16世紀のヨーロッパでは、富と権力の象徴として君主たちに好まれるようになった。

ヨーロッパのちかくには真珠の大量生産地がなかった。そのためペルシャ湾や南インドの真珠がとても高額で取引されていた。15世紀末のコロンブスの航海以降、ベネズエラやパナマの真珠がヨーロッパにもたらされ、真珠の流行に拍車がかかった。シェイクスピア作品には、このほかにも頻繁に真珠が登場する。その背景にはこの真珠の流行があった。

真珠貝から真珠を取りだすには、シェイクスピア喜劇のセリフのようにこじ開ける必要がある。

わたしは昨年の個展の際、別日程でおこなわれていた真珠の貝むき体験ワークショップに参加した。貝むき体験というのは、真珠貝から養殖真珠を取りだす体験イベント。日程上の都合から、個展会場での実施になった。自分の作品に囲まれながら”貝むき”できたのは貴重だった。貝むき直後の真珠貝のスケッチもした。

そのときの様子をインスタグラムのストーリーズに載せた。タイトルはもちろんシェイクスピアのあの一文。

わたしのインスタグラムのストーリーズのスクリーンショット

二枚貝は貝柱の力でしっかりと閉じている。アサリやハマグリの調理でわかるように、死ねば力が抜けてパカっと開く。生きているあいだはそう簡単には開けられない。

わたしが貝むき体験でつかったのは剣ではなくアコヤガイ専用のナイフ。なかの真珠を傷つけず貝柱を切れるように設計されているとのこと。これを隙間から差し込んで、90度グイッと動かすと貝柱が切れてこじ開けることができる。

アコヤガイがこのために育てられたとわかっていても、その瞬間はなんとも複雑な気分だった。
「ごめん、ゆるして」
そう思いながら、ひと思いにナイフを傾けた。はじめは手応えがなかったけれど、奥のほうで鈍いひっかかりを感じ、閉じている力が抜けたのがわかった。

貝が開いても真珠はすぐには見つからない。ほじくるようにして奥底から取り出した真珠は、ヌメヌメしていたけどしっかりと真珠光沢を放っていた(本noteの見出し画像)。

なるほど、このように真珠が出てくると、その瞬間はたしかに感動的だ。それにこの輝きはやはり神秘的だ。

しかし、わたしには真珠よりも母貝の内側の光沢のほうがインパクトがあった。個展用に借りて描いた貝殻、つまりギャラリーオーナーが何年も前に開けた貝殻にくらべると、みずみずしさがまったくちがった。

開けたてのアコヤガイはブルーがつよく、干渉色が青空に浮かぶ彩雲のようにも見えた。ブルーがつよいのは濡れているせいだろうか。しかし時間の経った貝殻は濡らしてもこうはならない。真珠のボディカラーに相当するとすれば、有機物層のなかの色素のせいなのかも。

死んだら色素が変質するのか。いや、有機物層の水分が抜けて屈折率が変わるのだろうか。ちょうど油絵の乾性油が酸素をとりこんで定着するみたいに見え方が変わるのかもしれない。

そんなことを考えてみたけれど、答えは出ないまま。とにかく新鮮なアコヤガイの内側はそんなみずみずしいブルーだった。その場に画材を持参していてよかったと心から思った。

数日が経ってもまだ貝殻は新鮮さを保っていたけれど、ボディカラーはブルーが薄まったような気がした。おなじ条件で観察していないので、そんな気がしただけで確かめられてはないのだけど。

先にシェイクスピアの作品に真珠がおおく登場することについて触れた。ふたたびシェイクスピアに話をもどす。

シェイクスピアの歴史劇のうち、時代設定が最も近かったのが『ヘンリー8世』だ。先月、この作品が隣県で上演されていたので気になっていたのだけど、行きそびれてしまった。

6人の妻を娶り、次々と処刑をおこなった悪王ヘンリー8世。絢爛豪華な装身具のなかでも、とりわけ真珠に肩入れしていたのだとか。劇中、2番目の王妃アン・ブリンの戴冠式の場面でも以下のようなト書きが出てくる。

五港の代表の男爵四人に支えられた天蓋。その下には王妃アンが礼服を着用し、髪をたらし、真珠で豪華に飾られ、冠を戴いて進む。両側にロンドン司教とウィンチェスター司教が付き添う。

『ヘンリー八世』(シェイクスピア著、松岡和子訳)より

いったいどれぐらい豪華に飾られていたのだろう。ずっと前(1995年!)に京都文化博物館で観た「イギリス絵画の350年」という展覧会の図録に、そのアンの娘エリザベス1世の姿を描いた細密画ミニアチュールを見つけた(下の写真左)。

「イギリス絵画の350年展」の図録より。左:ニコラス・ヒリヤード《エリザベス一世女王》、右:アイザック・オリヴァー《フランセス・ハワード、エセックスおよびサマセット伯爵夫人》

細かくてわからないけど、きっと真珠もおおくつかわれている。写真右の絵は、同時代の貴婦人の肖像。こちらは装身具に真珠がつかわれているのがよくわかる。わざわざ戯曲のト書きにあるぐらいだから、戴冠式のアンが実際に身につけた真珠はこれらの細密画よりも豪華だったにちがいない。

ヘンリー8世に仕えた宮廷画家にハンス・ホルバイン(子)がいる。先日のMET展でもホルバインによる肖像画が展示されていたけど、彼は生き生きとした王侯貴族の肖像をたくさん残している。とうぜんヘンリー8世の肖像も描いているのだけど、ホワイトホール宮殿の火災で失われてしまった。その肖像にも真珠の装身具が描かれていた。

じつは、そのホルバインは宝飾品のデザインも手がけていたらしい。2年前に松濤美術館で開催された「真珠—海からの贈りもの」展。この図録を読みかえしていたら興味ぶかい解説を見つけた。

彼が手掛けたのは絵画作品だけではなく、宮廷の家具や金細工のデザインも行っていた。中には、ペンダントなどのジュエリーデザインも含まれ、それらはヘンリー8世を中心としたイギリスの王侯貴族の真珠への渇望を伝えている。〔中略〕その多くは、ひし形や円形のペンダントトップに、小さな植物や有機的な線などの装飾とともに、大粒の宝石が配されたものであったことがわかる。そしてそのほとんどに、真珠が使われているのである。ペンダントトップの上に真珠が配されているのはもちろん、その下にぶら下がるように真珠を加えるのも特徴的である。

「真珠—海からの贈りもの」展の図録より、コラム「16世紀イギリス宮廷における真珠の流行」(西美弥子 渋谷区立松濤美術館学芸員)から抜粋。
「真珠—海からの贈りもの」展(渋谷区立松濤美術館、2020年)の図録。右は、その図録のコラムより、ホルバインによるペンダントのデザイン画。

この図録の表紙にあしらわれているペンダント・ネックレスは、19世紀のカルロ・ジュリアーノによるものだけど、ホルバインのデザインがしっかり踏襲されているのがわかる。同コラムによれば、このホルバイン由来のデザインは”ホルバネスクジュエリー”と呼ばれているそうだ。

◆◇◆

結果的に2回にわたる長編(合計10000字超!)になってしまった6月の誕生石、真珠。はじめは貝むき体験にちょっと付け足す程度のつもりだった。しかし気がつけばこのとおり。シェイクスピアに絡めはじめた時点で、これは過去最長になってしまいそうだ・・・という予感があった。

真珠というと、わたしたちは130年ほどの歴史の養殖真珠ばかりを考えてしまいがちだ。しかしヒトと天然真珠とのかかわりの歴史はものすごく長い。シェイクスピアは頻繁に劇中に真珠を書いていたし、その前の中世にはイスラーム世界で真珠の成層構造が知られていた。クレオパトラは真珠を溶かして飲んだというし、古代ギリシャでも最高の宝石とされていた。コロンブスが到達する前のアメリカ大陸でも装身具に真珠がつかわれていたし、日本でも縄文時代の真珠が見つかっている。紀元前6千年紀にまで遡るという説もある。

ほとんどが鉱物であるほかの宝石とちがって、真珠は貝から生み出される宝石。命あるものが生み出すという点がわたしたちが世代を重ねるのに似ている。鉱物は昔から大地にあるものなのだから、生物由来の真珠が特別な捉えかた、たとえばアニミズム的な信仰対象だったかもしれない。

古今東西、宝飾品としての真珠はその対象をいろいろと変えてきた。ここ数年は、メンズパールとして男性にも真珠が広まりはじめている。日本の蒔絵を援用した蒔絵パールもある。地味ながら、こうした変化をリアルタイムで見るのは楽しい。

わたしは昨年の個展のテーマにしたこともあって、真珠をとても身近に感じはじめている。まだはっきりしたものはないのだけど、World is mine oyster よろしく自分の世界を拓くもののひとつにできれば良いなぁと考えている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?