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AIの描く世界は超現実なのか

いま、AI(Artificial intelligence: 人工知能)が流行っている。正確には「AIによる画像の自動生成」が流行っている。簡単にいうと「AIお絵かき」。このところ、ソーシャルメディアのタイムラインにAIお絵かきの”作品”がどんどん流れてくる。あらたな技術が生まれて発展する様子がリアルタイムで感じられる。時代の転換点かもしれない。

◆◇◆

そもそもAIとはなにか。ネット情報によると、1950年代につくられた用語らしい。ヒトの知的な活動を情報処理で再現する、あるいは情報処理によって知能について研究する分野のことだ。

わたしが大学生のころ、AIの研究をしている研究室は情報処理分野の人気講座だった。

大学の改組でできた学際系・情報系の新設学部。情報処理系の科目が必修で、大学からノートパソコンが貸与されていた。当時はラップトップとは呼ばれずノートパソコン。なお、白黒モニタでトラックボール操作、もちろん外部記憶にはフロッピーディスクという時代。そんなノートパソコンに、ELIZAという擬似カウンセラーのプログラムを入れていた。

ELIZAは自然言語でのやりとりを実現したという人工知能のひとつ。わたしはELIZAとの会話をいろいろ試していたのだけど、フォーチュンクッキーの格言のような含みのある返事が返ってくることがおおかった。辞書をひきながら解釈していたのを覚えている。当時は辞書が内蔵されておらず、紙の辞書を横に置いていた。

そのころから30年ちかくが経ち、コンピュータ技術は飛躍的に進歩した。かなり複雑な処理が高速でできるようになった。AIの語が意味するところも変化(進化)した。コンピュータを用いたモデル化から、つながりを見つけて学習するマシン・ラーニング(Machine Learning: 機械学習)、さらにそれを多層でおこない関連づけを深めるディープ・ラーニング(Deep Learning: 深層学習)ヘ。こんにち言われるAIは、機械学習マシン・ラーニング深層学習ディープ・ラーニングが前提にされている。

AIといえば、ちょっとおもしろい経験をした。

2年前の外出制限で家にとじこもっていたときのこと、AIの企業から唐突にヘッドハンティングの話があった。AI企業への転職の話ではない。その企業の事業のひとつ、AIによるジョブ・マッチングにヒットしたという話だった。

その会社の独自開発のAIは、通常の転職市場のマッチングにはない人材を発掘できるのだという。ある外国企業からの依頼について、わたしのネット上の情報のどれかがひっかかったらしい。それでわたしのプロファイルとのマッチングスコアが高かったので声がかかったというわけ。

提案されたその外国企業はこれから日本に展開するところだった。募集していたのは、技術サポートのチームをまとめる役職。ほかのポストが適任そうならそちらでの採用も検討されるという。事業内容はわたしの経験とはゆるい繋がりはあるものの、現在の仕事とはまったく無関係だった。

スカウトしてきた会社も説明に困っていた。オンライン面談では
「人材の意外性が評価されて、ご利用いただいております」
「もちろん関心がなければ辞退していただいてかまいません」
という感じ。この言いぶりだと過去には明らかなミスマッチでの辞退があったのかもしれない。

そのときのわたしはとくに転職を考えていたわけではなかった。ただ、「AIで引っかかった」という点には興味をもった。あ、提示された報酬がかなり良かったという事実にもそそられたのだけど。

しかし、わたしも半信半疑。専門分野の異なる求人に、全力で転職活動をする勇気はなかった。わたしの煮え切らない態度を見てか、ブラインド方式が提案された。個人情報を明かさず経歴・職歴と業績だけを送る方式。それなら既存のもの、それこそLinkedinなんかに載せている情報がそのままつかえるし、負担もすくない。

ブラインド方式にどれほど意味があるのかよくわからない。名前を隠していても、わたしの経歴は特殊なので、ちょっと調べるとすぐに正体がわかってしまう。さすがにLinkedinのままというのも悪い気がして、ゆるく繋がりのある過去の仕事を強調する形で書類を作成した。

後日追加資料の提出も求められたぐらいなので、それなりに選考対象だったのだろう。しかしながら結局のところミスマッチだったのか、先方からお断りされてしまった。意外な人選が強みのAIジョブ・マッチング。その提案を受け入れる側の企業にも、マッチング結果を活かせる進化が必要なのかもしれない。いや、この場合は単にわたしが及ばなかっただけなのだろうけれど。

もしもこのとき転職が実現していたら、退職理由を
「AIが導いてくれました」
とか語っていたんだろうか。預言者っぽくてちょっと言ってみたいな。

AIお絵かきに話をもどす。

画像の自動生成をおこなうプログラムはいくつもある。このところよく目にするのが、Midjourney。Discordというチャットサービス上で、こちらが入力するプロンプトにしたがって画像をつくってくれる。無料で25個までつくれるということなので、試しにいくつかやってみた。プロンプトの書き方は見よう見まねで、きちんとは調べていない。

まず自画像的なもの。

わたしはソーシャルメディアではpainting gemologist(絵を描く宝石学者)を名乗っている。ブログ「一日一画」で最もおおく描いているのはパン(現時点で473点!)。

そこで、「パンを描く宝石学者」という指示を出してみることにした。もうひとつ、自分の容貌によせて「長髪」というキーワードもくわえてみた。

プロンプトは「long-haired gemologist drawing bread in studio」 

Midjourneyは4枚の候補を作成してくれる。かくして「アトリエでパンを描く長髪の宝石学者」はこのような人物だった。

・・・ロン・ウッドみたいだな。

Gemologistとしたものの、宝石の要素はどこにもない。4作とも目を閉じているのはなにか関係あるのだろうか。もしやMidjourneyはgemologistを知らないのか、それともなにかと誤解しているのか。Long-hairedとしたので、女性が描かれるかもと思ったけれど、すべてチョビ髭の男性姿なのが興味深い。

パンが出てきたのは2枚のみ。いずれもフランスパンっぽいところがちょっと嬉しい。鉛筆画みたいなテクスチャになっているのは、drawingを名詞として解釈された結果だろうか。こうした場合、誤解を避ける書き方があるのかな。わたしに似せるならメガネも追加しておくべきだったとあとで気がついた。

自分の作品はどうなるだろう。言葉で説明しやすそうなものを選んでみた。20年前に描いた油絵の小品《月夜の犬》。

「歩道にいる犬、並木、遠景に帽子の女性、夜、月光」をプロンプトに入れて作成させたのが、次の画像4枚。

プロンプトは「A dog in sidewalk, roadside trees, a lady with a hat in a distance, night time, under moonlight」

最初に犬と書いたのに犬がいないものもある。女性はシルエットか後ろ姿。遠景と指示しても必ずしも遠近・大小の表現に反映されるわけでもないらしい。AIって自由だな。並木はroadside treesでは通じなかったか。Midjourneyは要素の重みづけができる。細かく重みづけを指定するともっとわたしの油絵に似せてくれたかもしれない。

ところでAIがつくった左上の画像、わたしが2005年に描いた別の油絵《月の昇る散歩道》に似ていてちょっと驚いた。

AIお絵かきでは、このようにキーワードから画像が生成される。絵の内容は具体的であるほうがよさそうだ。

先人の作品にはAIお絵かき向きの絵画はないだろうか。以前に名古屋ボストン美術館で観たジョン・シンガー・サージェントの作品《エドワード・ダーリー・ボイトの娘たち》を思い出した。

開かれている本は「アメリカ絵画 子どもの世界」展(2007年、名古屋ボストン美術館)の図録。図録の上に置かれているペーパーバックは『Sargent's Daughters』(2009年、Erica E. Hirshler著、MFA Publications)。

この写真にあるペーパーバック『Sargent's Daughters』は、この代表作に描かれている少女たち、そして彼女たちの親であるボイト夫妻との交流を軸に、サージェントの生涯と作品をまとめた伝記的作品だ。ちなみに著者は米国ボストン美術館の学芸員。サージェントに関する書籍では抜群に充実していてオススメ。

この本のなかに、この油絵の大作についての描写がある。そこから抜粋してプロンプトを書いてみた。手前の4歳のジュリア(ヤヤ)、左に立つ8歳のメアリ・ルイサ、奥で花瓶にもたれる14歳のフローレンス(フローリー)、その横にいる12歳のジェーン(ジニー)。4人の少女たちのほかには絨毯と花瓶と人形を記述した。

プロンプトは「Four-year-old girl with doll sitting on carpet, eight-year-old plainly dressed girl standing dumerely, fourteen-year-old girl leaning against large chinese vase, twelve-year-old girl hovering in dim light beside」

画面のなかの4人を個別に記述したつもりが、いずれもひとりの少女について記述したことになったようだ。それとも4枚の画像それぞれにひとりずつ割り当てられたか。そして「中国の花瓶」に引っ張られたのか、少女は東洋風。

擬人化したような花瓶も見える。これはヤヤのもつ人形と花瓶が融合したか。それとも姉妹たちのひとりと融合したのかもしれない。withだけで傍のオブジェクトをしめしているため、こうした混乱が起きてしまうのか。

とにかくこれはかなり予想外の結果だった。これは想像しようにもなかなか思いつかない世界だ。

わたしたちの意識ではまったくつながらない複数の要素が、AIの世界ではなにかをきっかけにして結びつく。とはいえ、乱数的にランダムなのではなく、そこにはなんらかの法則性がある。

機械学習マシン・ラーニングは、要素間の関連性を見つける作業のくりかえしでできている。関連性をいくつもいくつも発見して再現の精度を高めてゆく。関連性には方向性があるため、ベクトルと呼ばれる。

じつは、わたしは機械学習をちょっとかじった。いまの仕事の関係でハーバード大の無料講座を受講したのだ。講義では、まさに数学のベクトル式として表記していた。Midjourneyの中身についてはよく知らないけれど、サージェント作品でわたしの書いたプロンプトはベクトルの指示が曖昧すぎたということなのだろう。

AIでは、世界を膨大な数の要素で記載し、それらを関連づける無数のベクトルを構築する。そうしてヒトの知能を再現することがAIの究極の目標。

Midjourneyのつくり出す画像のみならず、AIによる自動翻訳や対話を見ていると、かならずどこかで不思議な結果が出てきたりする。上で生成されたお人形さんのような花瓶がいい例だ。

これは、要素とベクトルだけで世界を認識することに限界があることを示唆してはいないだろうか。

こうした不可思議なとりあわせやあきらかな論理破綻は、薬物中毒者や低知能者、精神病患者の一部など、脳の機能が阻害された人びとによる発言や絵画にあらわれることがある。ということは、AIと彼らの思考・認識には共通点があるのだろうか。

思い出したのは、アンドレ・ブルトンの『ナジャ』。ブルトンはシュルレアリスム(超現実主義)の創始者のひとりだ。自動記述オートマティスムの実験をとおして「現実レアル」と連続した「超現実シュルレアル」の概念を追求した。

『ナジャ』は、ブルトンが出会った女性ナジャとの交際の記録。ドキュメントタッチで書かれているが、ブルトンのライフワークである自動記述も試みている。ゆくゆくは精神病を患うナジャ。彼女の手による繊細で自由な詩やスケッチが、現実の向こう側(超現実)を垣間見せている。シュルレアリスム文学の最高峰だと思う。

ナジャが描いた《恋人たちの花》。ソーシャルメディアのタイムラインを流れてゆくAIお絵かきを眺めていて、これを思い出した。

アンドレ・ブルトン著、巖谷國士訳『ナジャ』(2003年、岩波文庫)より

うろ覚えで適当にプロンプトを書いた。結果はなかなか良好な感じだ。

プロンプトは「Clover leaves with two pairs of eyes, snake root, pencil drawing」

右上なんかは近い雰囲気を醸している。ただ、よく考えたら《恋人たちの花》なんだからクローバーじゃないなと気がつき、『ナジャ』の文庫本を確認した。そして、プロンプトを一部変更してふたたび実行してみた。

プロンプトは「Graphite drawing, flower with two pairs of eyes, snake head stem」

蛇になっているのを茎として書いたのが失敗だったか。ナジャのスケッチでは口を開けた蛇がいるだけなのに。2対の眼はほとんど描かれず、蛇の鱗が目立つグロテスクなビジュアルになってしまった。

まだまだ発展途上の”AIお絵かき”だけど、冒頭に書いたようにこのところにわかに完成度を上げている。ちょっとしたイラストや挿絵あるいはアニメの背景などでは、いままでイラストレーターやデザイナーが担っていた仕事がAIのものになる日は近いだろう。

いままで同様のことはほかの分野でも起きてきた。だから危機感を募らせる人たちがいることは想像できる。残念ながら、おそらく彼らには退場するかAIにできない仕事にシフトするかの二択しかなくなる。非情だけどそれが適者生存。連綿と続いてきた生物進化とおなじだ。

ちなみに、わたしは完全にAIがヒトによる作品と同等のものを描けるようになるとは思っていない。AIが無限にデータを増やし、関連づけるベクトルを増やしていったところで、わたしたちが五感+αをとおして経験し学んだこと、身体を動かして表現してきたものを、実態のない情報だけで再現することなど不可能だからだ。

その絶対的な違いもふくめて、ヒトとAIの認知する世界、表現する世界の差には、いままで知られなかった何かが見えてくるような気がする。あるいは明示的・暗示的にAIのほうが表現してくれるかもしれない。人形と花瓶の融合も、きっとそうだ。そこに現れるなにかのほうに、わたしは関心がある。

アンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』が書かれたのは1924年。近年のAIの進化を見ていると、およそ1世紀ぶりにシュルレアリスムのブームが起きそうな予感がする。

『シュルレアリスム宣言』の後半に収録されている『溶ける魚』は、自動記述の記念碑的作品だ。これをMidjourneyに描いてもらった。プロンプトはそのまま「Soluble fish」。ベクトルになりそうな要素はかなり乏しい。かえってそれがおもしろい画像を生成してくれないだろうか。

プロンプトは「Soluble fish」

この結果はどうだろう。

左上のは具体的な魚の形をのこしている。あとの3つは深海魚のようだ。ナメクジウオのような趣もある。右下はピカイアっぽい。ピカイアは5億年以上前の脊椎動物の祖先だ。

DKの大判本『Prehistoric Life』(2009年)より。下のCGは近縁種を描いたもの。

右下のピカイアのまわりには、別の形態をした個体が出現している。これも「溶ける魚」なのか、たまたま一緒にいる別の生物なのかはわからないけど、ピカイアと同時代のウニやヒトデのなかまヘリコプラクスにそっくりだ。

こちらも『Prehistoric Life』より。

まるで先祖返りしたかのような生物が現れたところがなんとも興味深い。もちろん「溶ける魚」には古生物学的な意味合いはないのだけど。

AIが参照する膨大な「魚」の画像データには、きっとそれぞれの魚に共通する要素がある。AIはその共通要素を、自動生成の過程で召喚する。その結果、魚の先祖の形態を彷彿させる画像が生成されるのは、普通に考えてありえそうだ。これまでわたしたちがやってきた、骨格しか残らない動物化石からの復元図などにも共通する。

では、AIのアプローチはわたしたち生身の人間がやってきたのとおなじなのか。

生物学では、分類学から分子生物学、生態学、生理学など、はたまた隣接分野のあらゆる成果を比較して洞察して、古生物の復元などの結果に辿り着いている。生物をたとえにしたけれど、あらゆる学問領域はこの例とおなじように隣接分野の知見を援用して発展してきた。

AIが得意とするのは膨大なデータとその表層的な連想ゲーム。いっぽう、ヒトにできるのは洞察の部分だ。脳の機能が阻害された人びとのアウトプットがときに荒唐無稽でAI的に見えるのは、洞察による選別が欠けているからではないだろうか。

裏を返せば、わたしたちのメリットである洞察部分は理性のブレーキがかかった状態とも言える。理性のブレーキをなくしたものが、擬似的にAIが表出させているのかもしれない。

ブルトンがおこなった自動記述は、その理性のブレーキをはずすことだった。そのアウトプットにある意外な語の組み合わせの表出から潜在意識を探っていた。

美術分野のシュルレアリストも、例えばジョアン・ミロやアンドレ・マッソンは自動記述のアプローチだった。潜在意識の表出を夢に求めたサルバドール・ダリやポール・デルヴォーも、手段はちがえど目指している方向はおなじだ。両者の橋渡し的に立ち位置にいたマックス・エルンストももちろんそう。

ああ、やっぱりAIの自動生成技術の向上にともなって、シュルレアリスムが再興しそうな予感しかしない。

Midjourneyは、はじめに「/imagine」と入力することで、プロンプトを認識する。imagineといえば、あのジョン・レノンの曲を思い出すけど、あの歌詞は視覚的な具体性に欠けるので、プロンプトに入れたところであまり楽しい結果は期待できそうにない。

で、imagine(想像する)とほぼ同義でよりビジュアルに寄ったpicture(思い描く)はどうだろう。ビートルズ時代にジョンが書いた「Lucy in the Sky with Diamonds」は、次のようにPictureで始まる。

Picture yourself in a boat on a river
With tangerine trees and marmalade skies

The Beatles "Lucy in the Sky with Diamonds"より

Yourselfのところを誰か「person」にしてプロンプトにして生成したのが、このnoteの見出し画像にした画像。オレンジ色はtangerine trees(タンジェリンの木)とmarmalade skies(マーマレードの空)からの連想だろう。

プロンプトは「Person in a boat on a river, tangerine trees, marmalade skies」

この曲はこの後も「万華鏡の眼をした少女」だとか「黄色と緑のセロファンの花」なんかが出てくる。このあたりのキーワードも盛り込めば、一時期ウワサされた薬物による幻覚(※)に近くなってくるのかもしれない。

実際この曲に幻覚が絡んでいるかどうかはさておき、このころ(1960年代後半)のいわゆるサイケデリックな音楽にもシュルレアリスムの影響が強かった。”AIお絵かき”が落ち着いたら、次は”AI作曲”だったりするのかもな・・・と、ひさしぶりにビートルズを聴いて考えた。


註※ Lucy in the Sky with Diamondsは頭文字がLSDになることから、発表当初から合成麻薬LSDによる幻覚を歌ったものだと噂された。レノンはこれを否定し、キャロルの『不思議の国のアリス』に触発されたと説明している。

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