見出し画像

聖なる山の両側で

昨年末に番外編の形で書いていた誕生石の話。12月の誕生石タンザナイトについては年明けに書くと予告していた。

今回の見出し画像もこの職場の展示のタンザナイト標本。次回はあらためて12月の誕生石タンザナイトについて書く予定。しばしお待ちください。

2022年12月29日付拙note「【誕生石のはなし・スピンオフ】宝石の名前」より

タンザナイトはその名の由来にもなった東アフリカのタンザニアで採れるブルー〜バイオレットのゾイサイト(灰簾石かいれんせき)。ティファニー社が命名して商業的に成功した、比較的あたらしい宝石だ。

そのタンザナイトに似た境遇の宝石がある。タンザニアの隣国ケニアの地名(ツァボ・イースト国立公園)にちなんで命名されたツァボライト。ツァボライトもまたティファニー社によって販売されて有名になった。

ツァボライトはグリーンのグロッシュラー・ガーネット。ガーネット(柘榴ざくろ石)といえば1月の誕生石。ああ、それならちょうど良いのでタンザナイトとツァボライトをまとめて書いてしまおう。

ガーネットは昨年に書いたように、複数の鉱物からなるグループ名。トルマリンほど多くはないけれど、同じ構造で主要元素の異なるものがたくさん存在している。ほとんどは中間的な組成の固溶体だ。

ザクロが赤色のせいなのか、ガーネットといえば昨年書いたアルマンディンみたいな赤系統のものを想像しがちだ。しかしグロッシュラーにはグリーンや褐色のものが多い(橙色や赤っぽいものもある)。

1月の誕生石はガーネット(柘榴ざくろ石)。ザクロの実から連想される赤いものだけではなく、グリーンやイエロー、オレンジのものもある。ガーネットは単独の鉱物ではなくて、何種類もの鉱物のグループ名だ。

2022年1月30日付拙note「最も身近な誕生石」より

グロッシュラーの和名は灰礬柘榴石かいばんざくろいし。”灰”はカルシウム、”礬”はアルミニウムをさす。カルシウムとアルミニウムを主成分にもつガーネットだ。

いっぽう12月の誕生石タンザナイト(鉱物としてはゾイサイト)もカルシウムとアルミニウムが主成分。グロッシュラーとは構造が異なるものの構成要素が共通している。両者は化学組成のうえでは似たもの同士というわけ。

ケニアとタンザニアが位置するアフリカ大陸の東部には広域変成岩が南北に連なって分布している。変成岩は既存の岩石が熱や圧力の影響で性質が変わってできた岩石。そのうち大規模な地殻変動に関連したものを広域変成岩とよぶ。モザンビーク変成帯とも呼ばれるアフリカ大陸東部の広域変成岩帯は、約6億年前にゴンドワナ超大陸が形成された時の名残だ。

タンザナイトもツァボライトも、そんなモザンビーク変成帯の広域変成岩である片麻岩のなかに産出する。

実際はツァボライトすなわちグロッシュラー・ガーネットのほうが広く分布している。そのなかでごく一部、タンザニア北部のメレラニ地域に透明度の高いゾイサイトがあり、「似たもの同士」のグロッシュラー・ガーネットと一緒に見つかることがある。

この地域のゾイサイトの成因についての最も有力な仮説は、先にできていたグロッシュラーが変質して再結晶したという説だ。高温で結晶化したグロッシュラー・ガーネットが冷めはじめたところで、一部が熱水にひたってゾイサイト化した。

この地域ではこれらの鉱物が同居した結晶も見つかっていて、小さいものだけれど、わたしも標本を持っている。

なお、どちらも不純物として含まれるバナジウムが発色に関与している。ツァボライトのグリーンをつくっているバナジウムがタンザナイトのブルーをつくるようになった。

地質学的には先にできていたツァボライトだけど、先に宝石市場に現れたのはタンザナイトだった。

前回ちょっとだけ触れたように、ティファニー社がタンザナイトと命名して販売したのはタンザニアが独立して間もないタイミングだった。

1967年のアルーシャ宣言以降、タンザニア政府は社会主義政策をとり、すべての鉱山が国有化された。1969年、スコットランド出身の地質学者キャンベル・ブリッジズ氏がタンザナイト鉱山のちかくでグロッシュラー・ガーネットの鉱床を発見。しかしながら政府から採掘許可がおりることはなかった。

先に書いたように、南北に分布するモザンビーク変成帯の片麻岩にはグロッシュラー・ガーネットを含有するものがある。ブリッジズ氏は1970年代にはいってから、キリマンジャロ山を越えたケニア側でグリーンのグロッシュラーを多く含む岩体を発見した。

タンザニアの社会主義政府とは違って、ケニア政府はブリッジズ氏に採掘権を付与した。鉱山のちかくにあるツァボ・イースト国立公園にちなみ、グリーンのグロッシュラーがツァボライトと名付けられたのは冒頭に書いたとおり。この命名にはブリッジズ氏だけでなくティファニー社のヘンリー・プラット社長も名を連ねている。

かくしてツァボライトもタンザナイトに並ぶティファニー社のレガシー・ストーンとなった。

下の写真はタンザナイトとツァボライトをあしらったティファニー社のブレスレット。ダイヤモンドで表現された陽光がアフリカらしさを感じさせる。

ティファニー・アンド・カンパニー社のハイジュエリー・カタログ『The Blue Book 2013』より

ケニアで採掘権を得たブリッジズ氏は不法採掘者に悩まされたという。氏が開発したスコーピオン鉱山の名前の由来は、セキュリティ対策として飼育していたサソリに由来するらしい。

わたしも2002年から2003年にケニアに住み、その後もしばらく繰り返し渡航していたので、そのセキュリティ感覚にはとても共感できる。標高の高いナイロビに蠍はいなかったけれど、わたしは番犬を5頭飼い、夜警を雇い、塀の上に鉄条網を張り巡らしていた。それでも泥棒に入られたので電気柵も導入した。

2009年8月、ブリッジズ氏は暴漢の襲撃にあって落命した。襲撃事件の背景には採掘権をめぐる争いがあったという。その惨劇のあとしばらく休止していたスコーピオン鉱山は息子のブルース・ブリッジズ氏によって再開された。同鉱山は現在も上質のツァボライトを採掘しつづけている。

『Minerals & Gemstones of East Africa』(B. Cairncross著、
2019年、Struik Nature刊)よりツァボライトの原石、研磨石とジュエリー。

片麻岩のなかに見つかるツァボライトは小さなものが多い。研磨後に2カラット(0.4グラム)を超えるものは滅多にない。いっぽう再結晶してできるタンザナイトには大きな結晶も存在する。

2020年の6月、巨大なタンザナイトが見つかったというニュースがあった(下記リンク参照)。鉱山主のマサイの男性が両手に掴んでいる結晶はそれぞれ9.27キログラムと5.1キログラムあるという。

この巨大タンザナイトは真っ黒に見える。けれど研磨すればおそらく美しいブルー〜バイオレットになることだろう。

ところが現在流通しているタンザナイトはすべて初めから青かったわけではない。実のところ、市場に流通するほとんどのタンザナイトは褐色のゾイサイトを加熱処理で青くしたものだ。わたしの友人にも、褐色のゾイサイトを安く入手してキッチンで加熱して変色させて楽しんでいる人がいる。

タンザナイトの加熱処理は400〜650℃でおこなわれる。この程度の温度では確認できる痕跡は残らない。つまり処理の鑑別はできない。

『宝石の四季』2020年春249号で、わたしが執筆した連載記事「東アフリカ産の宝石 後編」より。

エネルギー・金属鉱物資源機構(JOGMEC)の情報によると、地熱発電の熱源であるマグマだまりの温度は650〜1000℃だという。そう考えると、加熱処理と同じことが地下で起きたために一部のゾイサイトがブルーになったものがタンザナイトとして採掘されているようにも思えてくる。

仮に、グロッシュラー・ガーネットの再結晶で形成されたゾイサイトが何らかの理由で加熱されてブルーになっていたとしたら?その熱源は何だろうか。

一説には、再結晶のときにすでにその条件下にあってゾイサイトが青くなり、一部がそのまま残っているというものがある。

あるいは地表で焼畑などによって加熱されたなんて仮説もある。実際、現地に暮らすマサイの人びとは定期的に焼畑をする習慣がある。地表の転石であればその可能性もあるだろう。だけど実際に採掘されるタンザナイトは地表にはないのでこれでは説明がつかない。

ほかにゾイサイトが結晶化してしばらくしてから、あらたな地熱活動があって変色したという説もある。だとするとその地熱活動とはなんだろう。

わたしはその地熱活動説は結構ありそうだと考えている。

アフリカ大陸の東寄りに位置する連続した窪み地形は、大地溝帯(グレートリフトバレー)と呼ばれている。その大地溝帯に沿って20ほどの火山が連なっている。

大地溝帯をつくったのは約2500万年前にはじまった大陸を東西に引き裂く地殻変動。その地殻変動にともなって活発な噴火活動があった。アフリカ大地溝帯のうち東側の地溝帯の南端にあるのがキリマンジャロだ。一連の火山で最後にできたと考えられている。

キリマンジャロは先にも書いたとおりタンザナイト鉱山の目と鼻の先。ブリッジズ氏のスコーピオン鉱山はちょうどキリマンジャロを挟んだ反対側に位置している。

およそ3年前に亡くなった地質学者で歌人でもあった諏訪兼位かねのり氏。彼が著書の中でキリマンジャロについて述べていた文章を引用しておきたい。

東部地溝帯の火山のひとつ、タンザニアの北東部にそびえるキリマンジャロ火山は、アフリカの最高峯であり、海抜五八九五メートルに達する。ほぼ赤道直下(南緯三度)にあるのに、四六〇〇メートル以上の山頂部は、一年中雪の帽子をいただいている。スワヒリ語で、「聖なる山」「輝ける山」(キは接頭語、リマは山、ンジャロは聖なる・輝く)という意味のこの山は、〈キリマ・ンジャロ〉とよばなくてはならない。蒸すように暑いタンザニアにあって、永遠の雪におおわれているこの孤高の山に、タンザニアの人びとは、神秘的といってもいい感情をもっている。

諏訪兼位著『裂ける大地 アフリカ大地溝帯の謎』(1997年、講談社選書メチエ)より

わたしはこの諏訪兼位氏の孫弟子にあたる。朝日歌壇の常連で絵も描かれていた諏訪先生には、世代が離れているにもかかわらず目をかけていただけた。また、わたしのケニア駐在にあたってはとてもお世話になった。

そのケニア駐在の数年後、わたしはケニア中央部の地熱発電施設を訪れる機会に恵まれた。その時(2005年)に撮影した動画がある。

地熱で水を蒸気に変え、その力でタービンを回して発電する。日本の支援も入っていたようだけど、20年ちかくも前に地熱発電が実用化されていたのには感銘を受けた。

この地熱は大地溝帯が拡大する火山活動の賜物である。地表近くで水を水蒸気に変えるのだから、地下ではそれなりの温度になる。地中に眠るゾイサイトに天然の加熱処理があっても不思議ではない。

今回の見出し画像に使ったのは、わたしの手元にあるタンザナイトとツァボライトの標本。いずれもティファニー社のレガシーストーンになった東アフリカの石であることはすでに書いたとおりだ。

わたしのささやかなコレクションより、左からタンザナイトの結晶、タンザナイトとツァボライトが一緒になった結晶(断片)、ツァボライトの結晶(断片)。

飛び飛びではあるけれど、わたしは何年ものあいだ、ティファニー社の社員研修の講師を担当している。

研修レクチャーの受講者にとっては、同社のレガシーストーンであるタンザナイトとツァボライトについての基本情報は周知の事実。しかし、それぞれが地質学的に近い関係にあること、いわば兄弟姉妹のような関係にあることは案外知られていないことがわかった。

それぞれの成因と、可能性として考えられる大地溝帯にまつわる”加熱処理”。これらについて研修レクチャーのなかで話すと、いつも驚きましたという感想が聞こえてくる。その情報が実際にセールスの現場で披露されることがあるのかどうかはわからないけれど、すこしでも最終消費者に届いていたらとても嬉しい。

カルシウムとアルミニウムをもつ鉱物が、ゴンドワナ超大陸ができた約6億年前にほんのわずかな条件の違いによって異なる鉱物になった。そしてその一部は数千万年前の大地溝帯の活動で色がついた。今は運命のいたずらのように聖なる山キリマンジャロの南北で別々に採掘されている。

美しい小さな宝石にも、こうした背景を意識するとものすごく大きなスケールの何かが凝縮されているような気がしてこないだろうか。そして奇しくも12月と1月と、続けての誕生石になっている。年をまたいでいるところも、なんだかキリマンジャロを挟んだ関係に繋がらなくもない。

わたしがケニアに居たとき、今とはまったく異なる仕事をしていた。当時は宝石についての知識も乏しく、まさか20年後にティファニーの研修を担当したりこんな記事を書いたりしていようとは想像もしなかった。たらればは無意味だけれど、あのときタンザナイトとツァボライトを買い、キャンベル・ブリッジズ氏に会っていたら、また違った視点でこれらの宝石を捉えられていたかもしれないと思っている。

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