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置き去りのままの偶像

【515】

信用する人の基準がある。
それは《僕のことを知っているのかどうか》《勝手な決めつけで判断していないかどうか》《ちゃんと向き合たことがあるかどうか》こんなところだろう。

本当に自分勝手な人が多い。
自分が否定的な話題の中心にならぬ様に別の標的を差し出したりする。
中立を装って実は敵対していたり、それの多くは《保身》から来るものだって言うのはなんとなく見ているとわかる。
そんなとき攻撃する人を突き止めて捉えてやろうと言う気持ちはない。僕の場合そこに対しての関心がない。なんて言うのかそこに割く時間がもったいないんだ。

「好きにすれば」と相手にしないことで誤解を招くことも多かった様だけど、誤解って言う名の噂や妄想なんて信じるべきかどうかなんて自分で決めなさいよって思う。
だから、そんな組織のくだらなさに嫌気がさすことは結構多かった。
まったく迷惑な話だ。
仕事をするために行っているのに仕事以外のことで邪魔されるなんて本当に最悪なこと。

『死人に口なし』ということわざがある。

意味合いはそのままだけど、対象者が何も言えない状況になってから好き勝手言われる様。弁明が出来ないこと。

僕は信用出来る人はそんなに大勢じゃなくていいとは思っている。もう結構前にはなるが、以前の職場の仲間から僕の退職後の話を聞く機会があった。
ありもしないことの噂話とか笑っちゃうほどにとんちんかんな話で。それを聞いたとき本当に人って勝手だなと思った。
中には「口説かれたことがある」みたいな話もあって、僕からしたらどこのどなたなのかちょっとお顔を拝見してみたいとすら思えて呆れたものだ。

僕はその場にいない人のことを悪く言うことは嫌いだ。陰口を言うことは卑怯者がやることだと思っているから。
本当にそれが課題と感じるなら伝える方がいいし、改善とはそういうものだと考えている。

僕は”死人に”とは言わないまでも、もうそこに居ない人に対してネガティブな印象を植え付けることはただただ不毛なやり方にしか思えない。
なんだろう、悲しいなって思う。

例えば有名人が亡くなったときなどでも見ることがあるじゃない。
亡くなった人の良からぬスキャンダル。真意の分からない勝手なでっち上げみたいもの。
報道とはなんだ?とも思ったりするけど、先ず以て死人の尊厳を傷つけるなんて下品なやり方だろう。
やっぱりもういなくなった人のことは言うべきじゃないんだ。

人の持つイメージがある。それはひとりひとり少しづつ違っていてずれている。そのイメージは確かなものなのかどうか。
そこに確かなものが存在するのは《その相手としっかり向き合ったことがあるかどうか》と言うこと。
そうでなければその人物像は偶像でしかない。大いにしてそんな偶像を思い描いている人の方が多い様に思える。
だから靡く。
相手のことを知らなければ“もしかしたらそうなのかも”と言うイメージのすり替えは容易いから。

相手のことを知っていればなんにもブレることはないはずなんだ。
周囲の声よりもまずは本人のことを思い浮かべる。信じていればそれが出来る。
過去の出来事は変えることは出来ないが、ありもしなかったことは後付けで入れ込むのは違う。
随分とそんなこと言われて来たけど、いちいちそんな事に躍起になるつもりはない。人は勝手ばかりだなと思うだけ。

自分がかつていた場所に残るのは抜け殻のようなものだけ。新しく塗り変わらないそれはいつか存在すらも掻き消してく。
「そんな人いたね」と言われる程度になった頃、僕はもうずっと先の方に進んでいるんだと思う。

過去のイメージは置き去りにして、先へ進む僕が築くのはこれからの新しい自分の未来だけだから。


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