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【337】ゴールラインを設定しないままで

「ここまでやろう」と言い聞かせてゴール地点を決める。

何かを始めればいつか終わりが訪れる。始まったその瞬間から終わりを目指して前進していく。こうやって言葉にして書いてみるとなんとも儚く思える。生まれた瞬間から死が近付いて来るのと同じこと。

いつかどこかに到達出来ることを人は目標設定する。

てっぺんが見えるから山を登り切るし、向こう岸が見えるから泳ぎ切るし、勝負ごとに勝ち負けがあるから終わりを迎える。

どんな人もそんな世界線で生きて来ているから、果てのない道を進むことには慣れていない。メンタル、フィジカルをどうコントロールしていいのかもなかなか考え付かない。

だって人は達成感ってものが大好きでしょ。

そこで自信をつけて手応えを感じて他者からは評価を受ける。自他共に受けるその感覚が自身の成長となって《経験値》となって人の魅力はまた一つ加わっていく。

そもそもが終わりのないことなんてどんなことがあるのだろうか。

簡単には思いつくことが出来ない。それほどにスタートとゴールは二つで一つのセットになっているんだろう。


「この仕事に終わりなんてないからなぁ」

そんなことを僕の右隣のデスクで作業する営業係の上司がぼやく。僕も同じことを感じていたので「まぁ、そうですよね」とボソッと返した。

現場スタッフの対応に自分の抱える業務に追われることはまさに中間管理職の宿命なのだろうか。それともただ僕らが要領が良くなかったからなのか、手抜きすることが下手くそだったからなのか。

係の部屋からがらんと人がいなくなる頃には時計の針は昼の12時を超えている。

営業職は人が相手の仕事。

何時から何時までなんてスケジュールはあってないようなほどにあてにならない。

「どこかで一日の終わりを決めておかないと終われませんからね」

自虐的に上司に同意を求める。今度は「まぁ、そうだね」とこちらが返事を受け取る。

嫌いじゃない仕事もこうした毎日になんだかどこか物足りなさや、もの悲しさを感じて無限のループにハマっていく感覚がしていた。このままでいいのかな。これが正解なのかな、仕方ないのかなって考えた。

会社から指示としては新規契約の促進を推し進め年間予算となる数字を目指す。

新規加入と同じくらいに役務利用はされ、または解約もされるので損益分岐点はぼやけてしまう。恐らくは現状キープがいいところなんだろうなと察する。やってもやってもうなぎ上りにはならない数字、人件費や諸経費、設備費っていろいろ考えてみると利益率ってどうなのかと見えなくなる。

これをずっとやっていくのかと思うと、深く考えれば考えるほどに途方に暮れる。

遣り甲斐ってなんだろうか。

予算達成したら本当にハッピーなのか。

大丈夫なのかって落ち着いて考えると小首を傾げてしまう。

予算は昨年対比で組まれ、市場の状況は加味されない。明らかに環境は厳しくなって行き、そうなると目標達成も厳しくなって行く。会社はそれを見越して予算を高めに設定して達成率を下げて経費を抑えようとする。このカラクリは絶対ではないのだろうけど、似たようなことはあるだろう。

1ヶ月ごとにリセットされてく数字は単月で乗り切った気持ちすらなかったように洗い流してしまう。

そう、どこかそんな虚しさを感じながらも《仕事》と割り切っていたところはあったとは思う。

「あー終わんない!今日はもうやめる」

一本吸って来るよと言いながら上司は喫煙所へ向かう。それがその日のゴールの合図だった。

「終わりますか…」とため息交じりに言いながらデスクを片付ける。こんな日をどれだけ繰り返しただろう。そんなことに掛けた時間ほどの価値もなければ、向けられる同情の言葉もさほどない。もちろん同情なんて求めちゃいなかったけど。

心身を擦り切らしながら、なんのためにそこまでくそ真面目にやっていたんだろうと今になって思い出すとかつての自分に苦笑いしてしまう。

仕事をやろうと思えばいくらだってやるべきこはあった。いや、それは本当にやるべきことだったのだろうか。無駄はきっとあっただろうな。

迷いとか疲れとか虚しさみたいなものを一度忘れるために、いつからかゴールを求める様になっていた。そうやって我に返る様にリセットポイントを設定した。

やればやれる、でもやってどうするってジレンマに陥る前の予防線だった。そうやってゴールをどこか必要としていた毎日だった。

それから数年後に僕はその世界から抜けた。きっとその上司は今もそのループの中にいるんだと思う。選択肢は幾通りもある。

僕は逃げた訳ではなく、違う道を選んだだけだ。

そこにおいては正解も不正解もない。遣り甲斐も生き甲斐もそれぞれ。可能性に賭けるのか諦めるのかも自由だから。

夢中になれる時間を人は無意識にも求めている。

ワクワクするような躍動感が生き甲斐を与えてくれることを知っているから。

始まりの瞬間から終わりを目指すこの不可思議な摂理に反発するように、夢中になれる時間の終わりが来ることを拒みたくなる。終わりがあるからこそ、そのときを愛しく思えて大切にするとしても可能であれば終わらないで欲しいもの。

今、自分なりに夢中になれるものを見つけた。こうして書くことや音声で喋ることがそれになる。

いい流れのときには敢えてストップをかけたくないと思うこともあるじゃない。一度決めたゴールラインをもう少し先に延長するように。ここまではやるってことじゃなくて。

その選択が継続すること。

結果的にいつか止まるときは来るのだろうけど、それを今は明確にしないでひたむきに進む。その継続の先にどんな未来が描けていくのか。それが今は誰よりも自分自身が楽しみにしている。

放っておけば自然と終わりの時間が向こう側からやってきてしまうなら、ゴールなど設定しないでひたむきに駆けてく今この時を思い切りやっていきたい。

敢えて答えを求めない。

敢えてゴールを設定しない。

達成は終わりの時。終わる必要もないならその選択もあってもいいのだろう。

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