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目をくり抜かれた任天堂の達磨

4月22日でdelyが10周年を迎えました。会社はまさに第二創業期と呼べるような成長率で過去数年の成長率を大きく上回る成長をしております。皆さんにご愛用いただいているクラシルだけでなく、まだ広報を仕切れていない、いくつもの発明が毎年のように生まれて事業が最高に楽しいタイミングになってきました。もはや料理動画だけの会社ではないです。ここについては今後発信していきます。もちろんまだまだ満足していません。BE THE SUNというビジョンにはあまりにも遠いです。


このビジョンどうなったら達成できるんだとよく聞かれます。答えはシンプルで世の中を明るくすること、自分たちが成長し続けること。人生という旅には成功という最終地点はなくて常に成長をし続けることが大切だと考えています。人生を楽しみ、経営を楽しみ、世の中を良くし、社員を幸せにするためにも飽くなき挑戦と成長の哲学自体をとても大切にしています。ですので売上、利益が〇〇兆円あればdelyのビジョンは達成ですということはなくて、私達の世界や自分たち自身への態度として常に完璧はない、常に挑戦し改善し続けるという意志を持ち続けること自体がビジョンでもあると思っています。


1889年より歴史を刻んできた任天堂。 その創業地にあたる京都・鍵屋町の旧本社社屋が ホテル「丸福樓(まるふくろう)」のラウンジに置いてあった目がくり抜かれた達磨

この想いをさらに深めたのは、任天堂の創業の地を訪れた時のことです。今はホテルとして再利用されているその場所で、数々の歴史的展示品に触れる中、特に目を引いたのは目がくり抜かれた達磨でした。創業家の山内万丈さんに話を聞くと達磨に目を入れると成功に満足してしまう、永遠に挑戦するために目を塗れないようにほじくった逸話から改めて作り直した達磨だと聞きました。 私の実家が群馬県で 達磨の製造が全国的にも有名なエリアであってビビッと来て私も10周年記念に達磨を作ろうと考えたのがこちらです。

目をくり抜けるか聞いたらそんなの聞いたことがないと言われてしまい一旦目を塗らないという形に落ち着きました

任天堂も1889年に創業し、今や130年の歴史を持つ、 日本を代表する世界に誇るエンターテイメントカンパニーになっています。 創業からの話を聞くと 最初は花札から始まり事業多角化していったという話は有名ですが、 実は創業の地を巡ると周りには一番最初に任天堂がやっていたセメント販売の事業のオフィスもありました。創業後すぐに花札が上手く行き集中を決めたと思ったのですが、創業から約30年後の1927年までは経営の分離をしていなかったのです。

多くの人が任天堂の成功の話を聞くと最初からエンターテイメント全振りしていてスマートに成功したような話に理解しているのですが、相当な苦労がそこにはありました。その後1947年に22歳の山内溥氏が突如後継者となり任天堂の経営を担うことになります。そして2002年まで山内溥氏が55年に渡って経営を行います。そんな中で大ヒットしたのが国産で初めてのプラスチック製のトランプです。創業から64年掛かって2つ目の大ヒットが生まれました。花札がヒットしてから64年目で2つ目の事業のヒットです。創業から10年程度で自分たちは山の1合目にも達していないことを痛感しました。

更に任天堂の歴史を紹介します。1960年代にはトランプ事業が勢いよく成長し大阪証券取引所第二部に上場を果たしますが、 さらに挑戦を続けタクシー事業や加工食品事業にも参入しました。これらの事業は失敗してしまい、更に日本経済の不況の影響でトランプ事業も状況が悪化、新規も既存も大きな課題を抱えることになります。ここで山内溥氏は規律なき事業拡大を止めてエンターテイメント事業に集中することを決めます。ここから1977年にゲームウォッチやドンキーコングがヒットし、大阪証券取引所第一部に上場します。

そこからはゲーム事業にフォーカスして凄まじい成長を遂げることになります。1983年にはファミリーコンピュータが発売されて、いよいよ私達が知っている任天堂の姿に近づいてきます。このときの山内溥氏は60歳近い年齢ですが、その社長が当時世の中になかった家庭用のゲーム機に目をつけたことも驚きです。

ここからは海外展開や、ゲームキューブの発売や、ポケモンの大ヒットでゲームボーイの売上が爆発など世界に名を轟かせ始めます。このときで創業から約110年です。10年程度で海外展開が出来ていない自分が情けなくなりますが、そんな簡単に上手くいくわけがないなとお叱りを受けている気分になります。

2000年以降も たくさんの世界に広がるような発明が続き、今や売上は1.7兆円、営業利益5,000億を超える世界の任天堂になっています。もちろん売上だけではなく、文化を世界に残している点で見てもクールな会社です。


長々と説明してしまいましたが、 私が伝えたかったのは世界に伝わるような発明は10年やそこらで出来ない。 私たちはまだ山の1号目にもいないと言うことです。そしてどれだけ偉大な任天堂であろうとも 振り返ってみると事業の多角化をしながら たくさんの紆余曲折をする中で道を模索しその中で出てきた少しの光を掴んだということです。正解が何処にあるかは分からない中で、長期を見据えて変化し続ける姿勢、新しいものを生み出そうとする姿勢こそが任天堂の成功の秘訣だったのでは無いかと思っています。

任天堂の歴史で言えば30年まではセメントで行くか娯楽で行くか迷っていたわけであって、delyもまだ精々10年目でここから20年で何があるかわかりませんし何の会社になるのかも分かりません。 しかしミッションである、世界を照らす発明を続けるために 永久にチャレンジし続けることだけは死ぬまでやってきたいと思っています。いつの日までも満足しない挑戦のカルチャーの会社にしていきます。

最後になりますが ここまで応援してくれた方我々のサービスを利用していただいた皆さん、 お客様、 株主やそして何より たくさんの仲間たちがdelyで働いてくれたことに感謝をし終わりにしたいと思います。さあまだ山の一合目、まだまだ頑張っていきましょう!

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