ここぞという時に臆せず決断できる自分になる

この半年ほど、実践・研究いたことが成果として見えてきたので、自分の頭の中の整理も兼ねて、ここで一旦まとめてみることにしました。

読んでもらうための気遣いなしに書いていますので、きっと無礼かつ乱文です。気になる方は途中で読むのを止めてくださいね。
ただ、僕ら人間が進化、成長していくためのかなりリアルな部分だなぁと僕自身は強く感じているので、
人間の不完全さに向き合う意思がある方は、是非参考にしてみてください。

人間には、思考とこころがあります。
それぞれの人が持つ特性によって、この思考とこころの傾向もまた変わってくるのですが、ひとつ共通して言えることは、

思考の部分の欲求をしっかりとやり切ってあげることで、僕らは心の声に正面から向き合えるようになる。

ということです。

また同時に、思考の欲求に基づいた行動をとっていくことで、自分自身が必要と感じていた経験を積むことができるので、それがまさに自信となり、
自信がつけばつくほど、思考も行動も軽やかになり、誰もが生まれつきもっている天賦の才を自然に活かせるようになっていきます。

そうすると、然るべきタイミングがやってきた時に、
臆せずに、迷わずに、大きな決断ができるようになるのです。

そして、これだけ自分の可能性を信じられるようになると、日々のハッピー具合が一気に変わってきますので、自然と豊かさが得られ、周りからも多大な信頼を寄せられるようになります。

口だけの人とか、他者にばかり求めている人は、そのまぶしいオーラ故に近づけなくなってしまうようなので、他者に足を引っ張られるようなこともなくなります。
(実際には、必要な試練として、ちょこちょこ足を引っ張られることはあるのですが、それ自体が大して気にならなくなるというような感じです。)

簡単にまとめて書くと、以上です。


でも、これを実践して結果を出していくのは、現実的にはむっちゃくちゃ難しいので、もうちょっと書きますね。

もっとも難しいのは、思考の欲求とこころの声のどちらに従っていくのか、そのバランスを常に取り続けることです。

どちらか寄りすぎてしまうと、僕らは色々とやらかしてしまいます。

思考にばかり寄ってしまうと、得た地位や居場所を手放せなくなってしまい、自分の無邪気さや素直さを押さえつけて、かっこいいとかしっかりした自分で居続けねばならない状況を自ら作り出してしまいます。
これはこれで、ビジネス的には大きく成功したりはできるのですが、自分自身に優しくない状況を作っているため、人にも優しくできません。
悲しいかな、どれだけお金や権力を持っていても、あなたの心をしっかりと見てくれる人は、あなたから離れていきます。代わりにあなたの外っ面を見て近づいてくる人が増えるでしょう。

こころの声にばかり寄ってしまうと、一時的に自分の快適な居場所を作り出すことはできるのですが、現実社会で起きる試練から逃避しがちになってしまうため、一向に自信がつきません。
避難所的な場所を作ってくれている環境に依存しがちになるでしょう。
そうすると、これはこれで社会から遠くなっていくため、あなたの挑戦を応援してくれる人が離れていきます。
一見安全な環境を作れているような感じがするのですが、ちょこちょこ孤独な心に襲われます。
また、思考に耳を傾けずにエゴを抑えているだけ状態なので、穏やかでいたいと思っていても、ちょこちょこそのエゴが暴発します。

こうやって書いてみると、どちらもえらいこっちゃな感じですね。

でも、大体どちらかは経験してますよね?

ちなみに僕は両方やらかしてますので、あ~心が痛いなぁと感じるような経験は多々あります。

なぜ僕ら人間がこのような経験をしてしまうかというと、
結局、どっちもどっちよね~。ということを学ぶためなんだと思います。


結局、何が正しいとか、何が間違ってるという問題じゃない。

(まぁ、どっちが正しいかで、僕ら人間は愚かにも戦争まで起こしてしまうのだけれど、、、。)

この広い宇宙の中で、僕らはひとりの人間としてポツンと存在しています。
そうやって見てみたら、日々の悩みや不安、迷いはとてもちっぽけなことですよね。
どうせ小さな存在なんだったら、せっかくだし、楽しく自分らしく生きていきたいじゃないですか。

自分を生きていると、不思議なもので、他者のことがそんなに気にならなくなるんです。
支配しようとか、傷つけてやろうとかそういう気持ちがなくなっていくので、自然と人にも優しくできます。
それでいて、下手に出すぎることもなければ、自分を大きく見せようとしすぎることもなくなります。
この時、ようやく自分と他者との違いを受け止められるようになるんです。

そう、わたしとあなたは、ただ、違うだけ。
あなたとあの人も、ただ、違うだけ。


それでいいじゃないですか。


お仕事でチームビルディングの支援をしていると、”みんなが違う”空間のスパーパワーを実感することが度々あります。

それぞれが、得意な役割を持って、自然とピースのひとつとしてはまっていく感じ。
上とか下とかじゃなくて、ぞれぞれが”ひとりの人間”として尊重され合う空間です。

その中では、直感と直感が混ざり合い、”その瞬間”にしか生まれないものが生まれます。予期せぬ奇跡というのはこうやって生まれるんでしょうね。

僕ら人間はそれができるんですよ。

だから、僕はその可能性をひたすらに信じ続けることだけは止めません。


超理想は、このような”みんなが違う”チームに身を置いて、お互いにその存在を尊重し合いながら、それぞれの才能を伸ばしながら生きていくことなのかなぁとは思いますが、

そもそも、そういうチームに巡り合うまでが、決して簡単な道ではないので、そこに至るまでの、個人の生き方を最後に考えてみます。

僕らの思考の欲求は、おそらく一生消えることはないでしょう。

年齢と共に、それを抑えて生きることは不可能ではないですが、
うまく抑えられていないと、根強い未練として残り、その苦しさが他者への攻撃に向けられてしまったり、
自分の中にうまく押し込むと、深い悲しみとして残ってしまうわけです。
(これはこれでアートなどの美しさに昇華できるとは思います。)

だから、できればやっぱり”欲求を素直にやり切ろとする人生”を目指せたらいいんじゃないかなぁとのが僕の考えです。

ただし、思考の欲求というのは、
ベースが、自分に足りないものを求めるというところから来ています。
そのため、「果たしてうまくいくのだろうか?」という不安が常に付きまとうのです。
ここが怖くて、なかなか一歩踏み出せないという経験も、きっとたくさんの人がしていることでしょう。
そして、その怖いという感情を隠したくて、ついつい強がってしまう経験もまた、たくさんの人がしていると思います。

でもね、この部分は、「本当はこうしたいんだ」と素直に人に伝えて、応援を頼んでみると、結構背中を後押ししてくれたりするものですよ。


けれど、僕もそうでしたから、素直な想いを伝えることに抵抗があるのは痛いほどわかります。
立派なプライドほど、素直に助けてって言いたい気持ちを邪魔しちゃうんですよね。

だから、そういう時はこうやって考えてみたらいいんだと思います。

もし、「今これをやりたい!」というその気持ちを素直に伝えなかったら、あなたはは死ぬ時に後悔しますか?

人がどうこうとか、自分の意地とかプライドがどうこうとか、極論どうでもいいんですよ。

あなた自身が、あなたの人生を悔いなくやり遂げたいかどうか、それが一番大事なことではないでしょうか?



こうやって書いているのもまた、僕の思考の欲求なんだと思います。

人に会った瞬間にその人の特性や、その人の今の状態がどのようになっているかが大体わかるようになってから、それをまっすぐ伝えたいという想いが強くなり、人によっては、急速な成長を促すことができたのですが、人によっては、心を深くえぐりすぎてしまい、かえって傷つけてしまいました。この数年は、まさに成功と失敗のシーソーゲーム状態でしたね。

あーやってまったなぁという経験を積めたおかげで、バランスをとりながら、その瞬間の相手の状態に適した言葉選びはできるようになりましたので、人の支援に関してはずいぶん優しくなれたと思います。

その上で、やはり人間の進化を促す実践支援とそれに関するデータ収集は、引き続きやっていきたいんだなぁと感じたので、
今のところ、細かいところは特に誰にも言わずに、データを貯め続けています。

出し方次第で、たくさんの人たちを暖かく支えながら、背中を押していける、未来のプロダクトを生み出せると思うんですよね。

このあたり、共に未来への本気のアクションを起こせる人と、そろそろ巡り合えるのではないかなぁとなんとなく感じていますので、ちょっと僕からパスを出してみます。

そう、かくいう僕もまた誰かに助けてもらいたいです。
データはかなり集まってきましたし、人の進化の実践支援も得意なんですが、これをどう活かしていくと良いかは、誰かの知恵を借りたいです。

自分にはない才能を持った人たちと、その違いを尊重し合いながら、共に作り上げていきたい。今、そんな想いです。

響いてくれる人がいるといいな。




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