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「わからない」に怯えない

これからどうしようかなぁ

1年ぶりの学校。
周りの友達はみんなリクルートスーツを着ている中、「あぁ、休学終わっちゃったんだなぁ」と思いながら、久々に大学にいた。

「これからどうしようかなぁ」

ぼんやりとそんなことを考えていた。
休学期間中は、色々なことをやってきた。
まちづくりに興味があった僕はちょうど1年前、石川県にいた。「地方で暮らしながら働く経験がしたい!」と思ったからだ。
半年間のインターンシップを終え、東京に戻ると「人の可能性を引き出す仕事がしたい」と思い(こう思うまでに色々な経緯があったが割愛)、
手当たり次第にイベントに参加してみたり、
企業の学生支部を立ち上げては解散したり、
人材系のスタートアップ企業と静岡県の教育系の企業で働いたりした。

この1年間では、出来たことや楽しかったこと、それ以上にたくさんの失敗や挫折があった。自分がなにをやりたいのか分からなくなっていた。

そんな中で、久しぶりの大学。
「さて、これからどうしようかなぁ」

そんな時にたまたま出会ったのが、長岡研究室だった。
研究室のHPを見た時に「ここだ!」と思った。
提出期限5分前になんとかESを出し、無事に長岡研究室に入ることが出来た。

直感と好奇心で動き続ける?

初めての長岡ゼミ。

すごい違和感を感じる。
ゼミの行動指針は「直感と好奇心で動き続ける」だが、
正直、僕の頭の中は「?」という状態だった。

なぜなら目の前のことをこなすことに必死で、
「正解」を探そうとする癖が身についていたからだ。
心がカチコチになっている自分に気づいた。

子供の頃はもっと湧き上がる好奇心に素直だったなぁ。 

好奇心はきっと「わからないもの」に対して芽生える。
結果やゴールが見えているものに対しては好奇心は芽生えない。

例えば、小さい頃は海の向こう側に何があるのかに好奇心を持っていた。
夢の国があるのだろうか、エイリアンが住んでいるかもしれない、と。
でも、大人になる過程で太平洋の向こう側には、
アメリカ大陸があることを知ってしまった。
だから、海の向こうに好奇心を持てなくなった。

大人になるにつれてその先をイメージできるものが多くなった。
〇〇はこうなる、と「なんとなく」予想して分かってしまっているのだ。
そうこうしているうちにだんだんと好奇心は萎んでいった。
効率化、管理の名のもとに時間をかけて
「思考すること(妄想を膨らませること)」
「行動して確かめること」をやらなくなった。
(もちろん、効率化や管理も大切だが)
確かめる前に簡単に正解を求めるようになってしまった。

そんな安易に正解を探してしまう自分のほんとうの心は、
「失敗したくない。恥ずかしい思いをしたくない」
という思いで溢れている。

だから、「直感と好奇心で動き続けよう」というメッセージには苦い思いがした。と同時に、ゼミでの話ににとても安心した自分もいた。

それは、直感や好奇心で動き続ける前提には
「失敗しても大丈夫。」
というメッセージがあるからだ。

失敗が許される優しさに安心感を覚えた。

「わからない」に怯えない

これからはわからないことを恥ずかしがって、
安易に答えを求めようとするのではなく、
じっくりと自分の頭で考え、行動で確かめていきたい。

「直感と好奇心で動き続ける」

そうしたら、自分の中の「答え」が少しずつ見えてくる気がして
これからの「越境」活動にワクワクドキドキしている自分がいる。
ゆっくりじっくり変わっていきたい。


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