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感情は納豆パックを貫いて


先程読んだチェンソーマンの内容を回想しながら
遅めの昼ごはんを食べる。
昼ごはんと言ったのは時間の関係でそう名付けているだけであって、内容は味噌汁・ヨーグルトに納豆ご飯、といった限りなく朝ごはんに近い献立である。

「なぜ作者はあんなにも残酷な物語を生み出すのだ。」と
届くことの無い“怒り”とも、“悲しみ”とも“嘆き”とも形容しがたい感情を納豆をかき混ぜる行為に注ぎこむ。
当然強くはない納豆のパックは容易に穴を空けていく訳で、それでも止めることはできない右手はいつからか僕の意思とは分離し始めている気がする。
あれだけ痛めつけられたというのに納豆は繋がりを切ろうとはせず、その諦めない姿に心動いたのか呆れたのか、右手は次第に心を取り戻したように優しくなった。

The Waltersの「I Love You so」をひたすらリピートして流す。弱った心をガーゼで包んでくれるような曲だ。最近よく聴いている。弱っていたということか。

味噌汁が美味しくて心に沁みる、ふと泣きそうになる。
外が明るくて時間が穏やかに流れる、泣きそうになる。
家でひとり、辺りは静かで暖かい、泣きそうになる。
心が木綿豆腐になっていちいち泣きそうになる。
これはチェンソーマンのせい。
リピートしている曲が毎回終わる度に寂しくなり、
イントロが聴こえる度にまた依存のような安らぎがやってくる。

こんな真っ昼間から僕は一体何をしているのだ。
納豆ご飯をかき込んでからも答えは出せそうにない。


おわり

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