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不在の存在、存在の不在

「私、実はいつもブラをつけないの」

私の友人が何気なく口にしたその一言は、私の中に「つけられることのなかったブラはどこへ行ってしまったのか」という疑問の種を植え付けた。そしてその疑問は、早いうちに芽を摘まなかったがために、『星の王子さま』のバオバブのように私の中で大きく成長してしまった。

その「つけられることのなかったブラ」は、スプートニク2号で打ち上げられた「ライカ」という名前の犬を私に思い起こさせた。打ち上げ後どのタイミングで死んだかよくわかっていないこの犬は、広大な宇宙のどこかを、寂しい顔をしながら未だに漂っているのではないか、という無意味な妄想を掻き立てる不思議な存在だ。

もちろん、「つけられることのなかったブラ」は存在していない。それはそもそも買われることも所有されることもなかったのだ。ブラが本来であれば存在しているはずの場所にあるのは、強いて言えば「ブラがつけられることのなかったふたつの豊かな乳房」となろう。もっとも、本当にブラをつけていないのかも、ふたつの乳房が豊かなものであるかどうかも、さらにはそこに乳房があるのかも、私は知る由もない。全ては彼女への信頼と私の想像により賄われているにすぎないのだ。

「不在の存在」というのは面白いもので、人はある種のものに対して「不在が有る」ことを見出す。「ドーナツの穴」は、よくよく考えてみると物質的なドーナツが占有している部分ではないため、「ドーナツの」と連帯助詞の「の」が使われるのは本来は正しくはないはずなのだが、私たちはその部分におけるドーナツの「不在」を「穴」という積極的な「存在」として捉えることで、そこにもドーナツが「存在」しているように解釈する。つまり、ドーナツにおいて、「穴」と呼ばれる箇所は不在として“存在”しているといえるのだ。


母がこの世を去って20日程になるだろうか。火葬が終わるとすぐに、私は介護期間中に放棄していたあれこれの仕事に取り掛かった。日々忙しく駆けずり回る中で、私は忘れかけていたエクスタシーのようなものを取り戻している。突如として戻ってきた日常を前に、私は私の悲しみまで棺桶と共に燃やしてしまったのでは、と思ったほどだ。

今週の前半、母の介護の関係でキャンセルしていた九州出張に行ってきた。福岡と佐賀を奔走した2泊3日は、素晴らしい出会いと発見で満ちていた。予定と移動が多く、身も心も疲れ果ててしまったが、行ってよかったと思えた出張となった。

最終日、鹿島から福岡空港へと電車で向かう途中、港北駅のホームで乗り換え電車を待っていた。

電車の到着まであと15分ほどあったので、母に電話をかけようと思い、私はポケットに入っていたスマートフォンを取り出した。


そうだ、母はもういないのだった。


移動中のちょっとした空き時間、母に電話をかけるのが私の習慣になっていた。私が話題を提供したり、母が愚痴をこぼしたり。二言三言で終わったり、長話になったり。極端に忙しい時を除いて、私たちはほぼ毎日電話で何かしらの話をしていたように思う。


スマートフォンを片手に、よく晴れた昼過ぎの田舎の駅のホームで、私は、「何かご用かい?」と尋ねる母の声の明るさと、もう二度と動かなくなってしまった棺桶の中の彼女の身体の冷たさとを、交互に思い出していた。

その時私は、私の中で「母の不在」が大きくなっているのを感じた。これまでも、電話をかけようとしてもう母がいなくなってしまったことを思い出すことは何度もあったが、その「不在」の輪郭が、以前に増して明瞭になったように思った。

「不在の存在」の感触や質量を、私の左手の中に確かに存在しているスマートフォンのように、はっきりと感じ取った。


向かいのホームの先に、「旅情」と刻まれた石碑が見えた。

旅情、か…


あるいは、こんなふうに考えることもできるかもしれない。

母がまだ存在していた時、仕事や読書に没頭していて彼女のことを“忘れている”ことはままあっただろう。実際に、彼女のことを意識していない時間の方が間違いなく長かったはずだ。その時、私の中で母は、「存在していながらも不在」という状態だったといえる。「存在」というものは、それを目の前にしていない時は凡そ曖昧なものなのだ。

この状態を、ここでは「存在の不在」と呼ぶことにしよう。

「不在の存在」と「存在の不在」、ふたつの間に、どれだけ本質的な違いがあるだろうか。そこに大きな差がないと考えるのであれば、「存在の不在」をなんの問題もなく受け入れられていた私は、なぜ「不在の存在」を殊更悲しむ必要があるのだろうか…


私は日々、こういうとりとめのないことを考えながら、日々大きくはっきりと立ち現れてくる母の「不在の存在」を受容しようとしている。この「不在の存在」が、つけられることのなかったブラや、ドーナツの穴のように、当たり前の存在となる日が早く訪れることを、私は心より待ち望んでいる。


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