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生と死、陸と海

徳島行きの飛行機の中は珍しく眠れなかった。ここ最近は多忙からくる寝不足に時差ボケが相まって、移動中は死んだように寝てしまうことが多い。その日も御多分に洩れずあまり寝れていなかったため、その後の過密スケジュールに備えて一眠りしたかったのだが、そうは問屋が卸してくれなかった。

とりあえず本を読むことにした。前回のフランス出張で買ったDavid Foenkinosの"Vers la beauté"がまだ読み終わっていない。オルセー美術館の警備員に自ら志願してなった元美術学校教授Antoineに隠された過去とは…?物語はゆっくりと進んでおり、まだ核心に迫る気配がない。これからどうなっていくのだろう。


ふと、こんなふうにフランス語の小説をある程度問題なく読めるようになったことを、母は喜んでいるだろうか、という疑問が頭をよぎった。


母が私に何かを強要したことはほとんどなかった。幼少期においても、選択肢は提供する一方、最終決定は全て私に委ねてくれた。

ただ一方で、完全に野放しにされていたかというとそうではない。母は親として、そして大人としての考えを私に伝えることで、私にとってよりよい人生を歩む道筋を私自身が見つけられるようにしてくれていたのだと、今になってわかる。適切なタイミングで適切なものを与えてくれていたのだ。

強制でも放置でもなかった。もしかしたら、本当の意味での「教育」だったのかもしれない。


知らず知らずのうちに母からは大きな影響を受けているが、それは母が「こうなってほしい」と望んだ姿になっているという意味ではない。そもそも母は、そんな具体的な像すら持ち合わせていなかったように思う。私は彼女の、彼女自身の趣味趣向の影響を色濃く受けたように感じている。

例えば、フランス語。

彼女は語学の勉強が好きだった。NHKのラジオやテレビの語学講座をよく視聴していた。その中でも特に好きだった言語がフランス語だったのだ。その理由はよくわからない。フランスに憧れがあったのかもしれない。

私がフランス語を習得しようと思い立ったことに、そんな母の影響は否定できまい。彼女が私にフランス語習得を強要したことなど一度もないが、想像するに、イタリア語に比べると、フランス語を選択し習得したことの方が彼女の喜びは大きかったはずだ。


そんな母が旅立ってもうすぐ一年になる。ここ最近は、その悲しみこそ少しずつ薄れてきたが、もし母が今の私の姿を見たらどう思うだろうか、と考えることがよくある。喜んでくれるだろうか。それとも不満に思うだろうか。私は私なりに、母に恥じない生き方をしているつもりだが、どうなのだろう。

彼女の願望に沿って生きようとは思わないし、それはそもそも母の望んでいたことではないはずだが、頭の片隅に、母の意向に沿わないことはきっと私にとってもあまりいいことではない、という考えがある。それくらいに私は母から強く影響を受けたことを、彼女の死後により強く感じることとなった。


飛行機から海岸線がくっきりと見える。フライトシミュレーターで確認すると、ちょうど三重の津市上空あたりを飛んでいるらしい。

陸が続いた先に、突如として現れる海は、まるで死の世界のように見えた。1ヶ月半の介護生活でだんだんと意識が薄れていく母と一緒にいたことを思い出した。2023年3月26日午前4時半の旅立ちのその瞬間までは間違いなく彼女は生きていた。その瞬間に彼女の全ては終わりを告げ、その瞬間以降は私は彼女がいない世界を歩むことになった。

世界中のどんな大陸でも海に囲まれているという事実は、死が生を包含しているというメタファーなのかもしれない。私は今、陸のどのあたりにいるのだろう。

ただ、そんな死の世界にいる母が、思いがけず私の中でしっかりと息づいていることに改めて気付かされた。母は彼女自身を私の中に残して旅立っていった。それは私にとっては大きな救いだった。


ふと、海は川で繋がっていることに思い当たった。明確な区分があるように見える陸と海は、実は本当の意味での境界など存在していないのかもしれない。

くっきり分かれているように見えるふたつのものは、複雑に絡み合っている…その考えは、今の私をほんの少しだけ癒してくれた。


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