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『ダンス・ダンス・ダンス』と香水

ある種のものは、それと同種のもので制される。ダイヤモンドはダイヤモンドで削り、英国チャート1位だったビートルズのファーストアルバムはビートルズのセカンドアルバムに首位の座を明け渡し、失恋の傷は新しい恋で癒される。

村上春樹の小説を読み終わった後の喪失感…今風に言えば、“村上ロス”となるのだろうが、私はこれを、違う村上春樹の小説に埋めてもらっている。

このように、私は、村上春樹を読み続けるのだ、永遠に…。

そんな私は今、『ダンス・ダンス・ダンス』を読み直しているところだが、今まであまり気にとめていなかった箇所で、大変心を動かされたので、今日は香水とからめて紹介しようと思う。香水のクリエーションをするようになってから初めてこの本を読み返しているから、今までとは少し違う感覚なのだと思う。

フリーライターである主人公の男性が、13歳の少女であるユキから「昔は熱心に音楽を聴いていたのにどうしてそうじゃなくなったのか」という質問を受けての回答だ。

「本当にいいものは少ないということがわかってくるからだろうね」と僕は言った。「本当にいいものはとても少ない。何でもそうだよ。本でも、映画でも、コンサートでも、本当にいいものは少ない。ロック・ミュージックだってそうだ。いいものは一時間ラジオを聴いて一曲くらいしかない。あとは大量生産の屑みたいなもんだ。でも昔はそんなこと真剣に考えなかった。何を聞いてもけっこう楽しかった。若かったし、時間は幾らでもあったし、それに恋をしていた。つまらないものにも、些細なことにも心の震えのようなものを託することができた。僕の言っていることわかるかな?」
(中略)
「今は恋をしないの?」とユキが訊いた。
僕はそのことについて少し真剣に考えた。「むずかしい質問だ」と僕は言った。「君は好きな男の子はいるの?」
「いない」と彼女は言った。「嫌な奴はいっぱいいるけど」
「気持ちはわかる」と僕は言った。
「音楽聴いている方が楽しい」
「その気持ちもわかる」
「本当にわかる?」とユキは言って、疑わしそうに目を細めて僕を見た。
「本当にわかる」と僕は言った。「みんなはそれを逃避と呼ぶ。でも別にそれはそれでいいんだ。僕の人生は僕のものだし、君の人生は君のものだ。何を求めるかさえはっきりしていれば、君は君の好きなように生きればいいんだ。人が何と言おうと知ったことじゃない。そんな奴らは大鰐に食われて死ねばいいんだ。僕は昔、君くらいの歳の時にそう考えていた。今でもやはりそう考えている。それはあるいは僕が人間的に成長していないからかもしれない。あるいは僕が恒久的に正しいのかもしれない。まだよくわからない。なかなか解答が出てこない」

「本当にいいものはとても少ない」、私もそう思う。昔は手当たり次第に色々な香水を買っていたが、ある時にふと、買いたいものがなくなってしまった。いいものがない、と感じてしまったのだ。
今思うと、昔は恋のような感情を抱いて香水に向き合っていた。「香水」というだけで、無条件に好きになり、盲目的になっていた。

そういう「恋のような感情」を、私はとても素敵だと思う。それはもう今は失われてしまったし、クリエーターとして、良いモノとそうでないモノの判断は非常に重要であるが、もし私がただ1人の消費者として香水と向き合うことができたら、香水に恋をしながら接していきたい。それはとても幸せなことだと思うのだ。

次に紹介するシーンは、また先ほどと同じ2人の会話だ。フリーライターとしての仕事について。

「あまり仕事が好きじゃないの?」
僕は首を振った。「駄目だね。好きになんかなれない、とても。何の意味もないことだよ。美味い店をみつける。雑誌に出してみんなに紹介する。ここに行きなさい。こういうものを食べなさい。でもどうしてわざわざそんなことしなくちゃいけないんだろう?みんな勝手に自分の好きなものを食べていればいいじゃないか。そうだろう?どうして他人に食い物屋のことまでいちいち教えてもらわなくちゃならないんだ?どうしてメニューの選び方まで教えてもらわなくちゃならないんだ?そしてね、そういうところで紹介される店って、有名になるに従って味もサービスもどんどん落ちていくんだ。十中八、九はね。需要と供給のバランスが崩れるからだよ。それが僕らのやっていることだよ。何かをみつけては、それをひとつひとつ丁寧におとしめていくんだ。真っ白なものをみつけては、垢だらけにしていくんだ。それを人々は情報と呼ぶ。生活空間の隅から隅まで隙を残さずに底網で救っていくことを情報の洗練化と呼ぶ。そういうことにとことんうんざりする、自分でやっていて」

「モテ香水」という言葉をよく耳にするようになったが、香水を紹介している媒体は様々ある。香水を選ぶことは簡単ではないので、そういうのがあって然るべきだと思う一方、「好きなものを好きなように使えばいいじゃないか」とも思う。

そして、確かにブランドは大きくなると、香りのクオリティが落ちていくように思う(サービスは場合によってはよくなるかもしれない)。需要と供給のバランスが崩れることがその原因ではないが、ブランドが大きくなることで面白いクリエーションができなくなるのは、しょうがないことではあると思う。より多くの人の要望に応えなければいけなくなるのだ(そういう意味では、需要と供給のバランスが崩れると言えるのかもしれない)。

ここで主人公が言っていることは非常によくわかるし、納得できる。香水好きの方にも同意いただけるのではないかと思う。
しかし、自分がブランドを作る立場になって、「そうは言っても現実はね…」と言いたくなってしまう。知ってもらえないと、売れないと、ブランドとしては存続できない。ただしそれも行きすぎると結局悪い方向へと向かう…

なんだかなぁ、と思う。「ちょうどいい塩梅」を見つけるのは、なかなか難しいのだ。

何度も読んだ本なのに、改めて読み返すと思いがけないところでハッとすることがある。それだけ一回の読書で摂取できる情報量は限られているということなのか、それともその時読者が置かれている状況によって感じ方が変わるのか、はたまたその両方なのか…よくわからないが、これを口実に、これからも永遠に村上春樹を読み続けていこうと思う。

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