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7のピアスをつけた男の話

パリから上海へ向かう飛行機の中でのこと。

私は通路側の席をあてがわれた。続きの左の2席はフランス人カップルが座った。

席についてすぐ、通路を挟んで右斜め前から英語での会話が聞こえてきた。私の視界には若そうな白人男性の左側しか見えなかったが、どうやら彼が隣にいるフランス人女性に声をかけたところから始まった会話だったようだ。

ここからは読者の皆様が想像しやすいように、ふたりの出立ちについて先に説明しておく。ふたりとも20歳前後くらいと思われた。男性はグレーのスエットに黒い細めのジャージ、足元はハイカットの白のコンバースだった。髪は少し茶色がかった短い金髪で耳には数字の「7」の形をした小さなピアスが揺れていた。時計はハミルトン。うっすらと伸びた髭が彼を多少男性らしくしていたが、あどけない顔や独特の仕草からは男性性の薄さを感じざるを得なかった。英語圏の国から来ていて、どういう理由でパリにいたのかはよくわからなかった。女性の方は黒い薄手のニットとグレーのヨガパンツ。髪は彼よりもワントーン明るい金髪だったが、太めの眉毛は黒かった。あどけない印象を残した、美人というよりも可愛い感じの子だったが、全体的には「クラスにいる普通の子」といったところだろうか。

男性の方が容姿に関する記述が多いことにお気づきかもしれないが、それにはふたつ理由がある。ひとつは私の席から常に見えるのが彼だけだった、ということ。もうひとつは、この話の主人公が女性ではなくこの男性である、ということ。


話しかけたのは男性の方からだったようだが、その後延々と話していたのは女性側だった。声が大きく、英語もかなり堪能だった。彼女はファッション系の学校に通っているようだった。話が続いているところを見ると、彼の方もどうやらその業界に関心があるようだった。女性が男性に情報提供(のようなこと)をしているように聞こえたが、その詳細はよくわからない。

「私はプラダとヴェルサーチが好きなの」

「ディオールにJ’adoreっていう香水があって…」

彼女はとにかく知っていることを全部彼にぶちまけていた。彼がどういう顔をしてその話を聞いていたのかはこちらからは窺い知れなかったが、さすがに話しかけたことを後悔したのではないかと私は想像していた。

一度トイレに立ってふたりが話しているところを目にした。彼女は完全に身体を彼の方に向けて、少し興奮気味に見えた。目にはハートがちらついていたかもしれない。彼女に比べると彼は冷静だったが、満更でもなさそうだった。

会話がひと段落して彼が本を読み始めた時、彼女も本を取り出した。そして、その本の内容について彼に説明し出した。本ぐらいゆっくり読ませてやれよ…と私は心の中で呟いたが、もちろん彼女はお構いなし。とはいいつつ、話しかけたのは彼の方からだし、どうやら彼も彼女の話を楽しそうに聞いていたようだ。


長くなってしまったが、実はここまでは前座で、本題はここからだ。


ふたりで静かに本を読み始めてしばらくしてから配膳が始まった。中国東方航空のCAの女性はお世辞にも愛想のいい方ではなかったが、彼女は彼女なりに、テンパりながらもきちんと仕事をしていた。

件のふたりの配膳が終わって、1列前に進んだその時、彼がCAさんの方に振り返りその腕に触れた。

そして、英語で「中国語でThank youは何ていうの?」と尋ねた。

突然のことにCAさんは困惑しながらも「謝謝」だと教えた。彼はCAさんを笑顔でじっと見つめながら、習いたてのその言葉を口にした。マスクの上からでも彼女が今回の搭乗で一番のはにかみを見せたのがわかった。

私のところにきた時にはもちろんそのはにかみの欠片も残っていなかった。私はコーラとチキンライスを頼んだ。


同じCAが下膳にやってきた時、私は彼の口から覚えたての「謝謝」が出るのかが気になって仕方がなかった。CAが彼の横に来る。私と彼との間にはCAがいるため彼の言葉は聞き取れない。ただ、私はCAのマスクより上の部分に先ほどと同じはにかみが現れたのを認めることで、その言葉が発せられたことを知る。

私がそのCAに下膳の際にコーヒーをリクエストすると、コーラーが入っていたコップにそのままコーヒーを注がれ、ミルクと砂糖が必要かすら尋ねられなかった。

きっと彼があの笑顔でコーヒーをオーダーしたらショット追加のキャラメルマキアートだって提供しただろう…私はそんなことを考えながらコーヒーを啜った。


もしかしたら彼は底抜けのいいやつなのかもしれない。彼は全ての動作を自然に、彼の中にあるシンプルな行動原理に基づいて行なっているとも考えられなくはない。周囲にあの甘い笑顔と気配りを振り撒き、「この『7』のピアスは幸運をもたらしてくれるんだよ、ほら、今日君と出会えたのもこれのおかげさ」と心の底からいうことができる、本当に天使のような人の可能性もゼロではないのだ。

ただ、私にはそう思われなかった。CAの「謝謝」という言葉を聞いた時の、彼の勝ち誇ったような笑顔がそうさせたのかもしれない。彼はそもそも中国語になんて全く興味がなくて、ただコミュニケーションの一環としてそれを尋ねた。もちろんそれは、女性CAが若い白人男性からそういった類の質問を投げかけられるのを喜ぶと思った上での行動だ…私にはそのように感じられた。

そんなことを考えてしまう私は、捻じ曲がっているのだろうか。


彼女の弾んだ耳障りな声と、彼の不思議で不愉快な手振りは上海に着陸するまで続いた。私には全く関係ない話なのに、どこかむず痒い思いをしながらずっとそれを観察し続けた私ひとりだけが、なんだか悪者だったような気がした。


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