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ヤドカリと蝶

何かが空から落ちてきたのかと思った。


沖縄北部に位置するオクマビーチまで車を走らせた。付近には沖縄最北端のファミリーマートがあった、と聞くと、どれほど北まで上ったのかがわかるかもしれない(わからんか)。または那覇より南とオクマビーチより北の分量がだいたい同じ、といえば伝わるだろうか。

4月の沖縄の海はあたたかかった。私はゴーグルをつけて海に潜った。サンゴや貝殻の残骸で構成された白いビーチで、遊泳できる区域内には海藻があまりなかったこともあり、魚とは1匹も出会うことがなかった。

その代わりに、浜を歩いているとたくさんのヤドカリがいることに気がついた。大小様々な貝殻を背負った彼ら彼女らの身体はどれほどの大きさなのだろうか。なんだか皆一様に難儀しながら歩いているように見えたが気のせいだろうか。

家を背負って生活すればいつどこででも休めるのでは、という甘い考えに誘われ、私もその浜辺で住みたい“家”をいくつか探してみることにした。

浜辺は物件の宝庫だった。ただし「いい物件」となると限られる。そして外面はよくても住みよい保証はない。残念ながら今の私の身体はその住み心地の確認すらできないので、来世にもしヤドカリになった時に検討するための物件を3つほど水着のポケットにしまった。


ひと泳ぎと物件探しの後、シャワーを浴びて那覇に戻ることにした。車に乗ってすぐ、コーヒーと甘味が足りていないことに気づいた私は、帰り道沿いにあるカフェを目指すことにした。

道の駅に併設されたそのカフェは「滝の見えるカフェ」を謳っていた。コーヒーとシュークリームを注文して、滝の見える席に陣取った。カフェには私しかいなかった。


「滝」と呼ぶには大袈裟な、山肌沿いに流れる小川を眺めながら、私は薄いコーヒーを飲み、硬いシュークリームを食べた。その時の私はお湯と石ころを出されても許せるくらいにおおらかな気持ちでそのふたつと向き合っていた。

滝の周りは草や花で覆われていた。それもあって、流れる水が見える箇所は限られていた。滝の周辺を色とりどりの蝶がひらひらと舞っていた。


空から落ちてくる何かに気がついたのはその時だった。少し大ぶりな葉っぱのようだったが、それにしては柔らかそうな印象を受けた。振り子のように左右に揺れながら、空気に支えられてゆっくりと下に運ばれていた。

それが突然真ん中から折れ、また伸びた。それに伴いそれは少し上昇した。またしばらくしてその動きを、今度は複数回してさらに上に登った。

蝶だった。

何匹もいる蝶の中、その1匹だけが不思議な動きをしていた。身体を固定してゆっくりと下降する、上に行きたいときだけ軽く羽ばたく、を繰り返していた。極力動かないという点においては最も怠惰な個体といえるかもしれないが、彼、あるいは彼女は、選ばれたものだけがもつことを許可された“秘技”のようなものでその動きを可能としているように私には見えた。

優雅だった。


浜辺のヤドカリも素敵だったが、私はこの蝶に強く心惹かれた。それは楽をしているからではない。蝶はきっと、この世界の秘密を知っている、と私には感じられた。私たちの想像をはるかに超えた大きな力に逆らうべきではない。常に身を委ねておいて、少し気が向いたときにその力を借りながら方向転換する。言葉にすると簡単なようで、実はとても難しい。私たちはなかなかどうして身を委ねられずに、いつも大きなものを背中に背負いながら歯を食いしばって前に進もうとする。


翌日、那覇空港から飛んだ飛行機は夜11時ごろに羽田空港に到着した。荷物を受け取りリムジンバスで新宿に向かった。終点に近づく頃にはもう11時半を回っていたが、新宿西口のあたりは多くの人で賑わっていた。

バスの中からぼんやりと外を眺めていた私の目には、その人々が大小様々な貝殻を背負っているヤドカリのように映った。そこに蝶はいなかった。


いつか蝶になれるのだろうか。そんなことを思いながら、バスを降りた私は大きな荷物を受け取った。これを背負っていかなければならないのかと思うと、なんだかふと悲しい気持ちになった。

私もまだ、しばらくは抗い続けなければいけないようだ。いつかくる、秘技を手にいれるその日まで。


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