母の薬の量が増えつつある。

主に骨転移した癌の痛みを取るために摂取しているものなのだが、都合よく痛いところだけに効く薬ではなく、全身の感覚を弱めることで痛みを軽減するものである。麻薬に該当する成分が入っている関係で、摂取量の増加に伴い頭がぼんやりしてくる可能性が高い。

この薬を摂取し始めてそろそろ1ヶ月。薬の量を上げるタイミングとしては決して早いわけではない。

ここ数日は、痛みが出た際には頓服薬でしのいでいた。当然、その頓服薬にも同様の麻薬成分が入っている。よって、実質的に薬の量は漸次上がっていた。

そのせいだろうか、最近母の反応が若干鈍くなったように思う。私の言葉に対する反応がワンテンポ遅れたり、長いフレーズだと一度で理解しきれなかったり。彼女の言葉も記憶もはっきりしているのだが、外部からの刺激に対してはほんの少しだけ鈍感になっているようなのだ。

それは私に、彼女があたたかい泥の中に、ゆっくりと飲み込まれていく姿を想起させる。彼女は心地よさと共に、この世から徐に離れる過程にいる。

死に近づく音楽名人を主人公ヨーゼフ・クネヒトが見舞いに行った際、クネヒトの前で起こった事を語ったこのシーン。「人間を離れて静寂へ、言葉を離れて音楽へ、思想を離れて統一へ」という部分にとても心惹かれた。

母も今、人間を離れて静寂へと向かっている。そして私には、言葉や思想を離れて、母のその姿は愛へと転じているように、そんなふうに思われるのだ。

今日は母のリクエストに応えてヒレカツを揚げた。大葉を挟んだヒレカツもサプライズで作ったのだが、水で溶いた小麦粉をつけたことでカツが水っぽくなってしまった。大失敗。

ご飯と味噌汁、千切りキャベツにヒレカツを彼女のベッドの上でふたりで食べた。最近はそこで一緒に食事をとるのが日課になっている。量こそ違えど、私は彼女と同じものを食べるようにしている。ふたりで共有しているものを少しでも増やしたいのだ。

少し疲れて、食後に身体を起こしている母のお腹あたりに突っ伏していると、母は優しく私の肩を揉み始めた。私が肩が凝っていそうな仕草をしたからだろう。実際、その時既に肩こりからくる頭痛が始まっていた。

母の指は力なく私の肩を押す。それでもそれは心地よく、私は母がするに任せていた。

しばらくして顔を上げると、母は静かに泣いていた。

「私、しばらくこの家にいるね。私が死んだ後も。身体はあの世だけど、心は裕太と一緒にいるわ」

神様、お願いです。母が人間から離れて静寂へ向かっても、言葉や思想を離れて愛へと転じていっても…私からは彼女を離さないでください。心はずっと一緒にいたいんです。

お願いします。どうかお願いします。

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