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イノベーターにプレゼン能力が必須なのは、2000年以上前から変わらない

2000年前のローマのイノベーターと言えば

そう、ユリウス・カエサル。ローマ帝国の初代皇帝。彼が成した偉業に関する詳細は、ローマ人の物語4巻5巻をぜひ一読して欲しい。彼が成した偉業を、現代のビジネスパーソンに置き換えて例えると多分こんな感じ。

1. 国内・国外でコツコツ実績を重ね、海外事業の事業部長になる
2. フランス・イギリス・ドイツの新市場を開拓し、5年で会社の売上の30%を占めるまでに成長させる
3. 拡大する組織を効率よく統治するために迅速な意思決定が必要と考え、合議制を敷いていた既存経営陣に反旗を翻す
4. 自ら社長になり権限を自分に集中させ、諸々の組織改革・人事制度改革を実行していく
5. 経営会議中の会議室で、ブルータスに刺されて死ぬ

当時のローマは既に相当なサイズがあったので、現代のSONYとかTOYOTAで凄まじい成果を上げることを想定してもらえれば。


海外事業を立ち上げ中に、2冊本を執筆してベストセラー

事業部長として新規市場を開拓して、現地で優秀人材を採用して幹部に育て、本社に戻ってからも組織改革を断行して、長期繁栄の礎を築くとか優秀オブ優秀。ていうか、この比喩でもカエサルの偉大さを矮小化してるくらい。政治家として立法しても経済を扱っても、軍人として戦争をしても、凄まじい成果をあげているのだ。それに加えて凄いのが上記の2と3をしている最中に、起きた事実と自らの意図を全て書き残し、それを本として出版していること。ガリア戦記と内乱記という2冊だ。しかも文章を書かせたら、当代きっての巧さ。チート人材すぎる。


本というメディアを使って「イノベーション」をプロデュース

この2冊の本が出版されてベストセラーになって初めて、ローマの民衆は「カエサルはイノベーションを起こしたんだ」と認識したのだと思う。どんな偉業も凄さや意味が伝わらなければ、偉業として認識されない。現代ならマスメディアもいて、市井の人もSNSで発信をしているから、イノベーター自ら発信しなくても、周りが盛り上げてくれる。現代では戦争となれば、従軍記者もいる。ただ、紀元前50年当時は従軍記者などいなかっただろうし、メディアの重要性も広く認識されていなかったはず。その時代にガリア平定という大事業を実行するだけでなく、民衆を味方につけるところまで絵を描けていたのは、末恐ろしい先見の明だ。


元老院という「既得権益」とガチンコ勝負

カエサルの優れたメディア戦略は他にもある。元老院での議論を全て記録して、フォロ・ロマーノという広場に1日以内に貼りだすという事を、30代の元老院議員時代に実行に移している。現代で例えると、twitterで国会議員の誰がどんな発言をしたのか実況中継するようなものだろう。これで、年長の元老院議員が既得権を駆使して密室で物事を決められないようになった。議論をガラス張りにする事で、年長者たちの既得権を剥ぎ取る絶妙な一手だったのだ。持たざる者がメディアを駆使して民衆を味方につけて、イノベーションを起こすチャンスを拡げる。変革のお手本のような手順だ。しかし、カエサルに脅威を感じた既得権益側も反撃に出るのだ。


ルビコン川で生まれた名セリフ「賽は投げられた!」

詳しくはローマ人の物語4巻の最後の方を読んでもらいたいのだが、もうこのシーンはとにかく痺れる。元老院に追い詰められたカエサルは、元老院への服従か武力による謀反かの究極の二択を迫られる。そして子飼いの軍団と共に辿り着いたルビコン川。紀元前四九年当時はローマの軍隊はルビコン川を渡る前に武装解除をしなくてはならない。そこを越えると、名実ともに謀反者だ。カエサルはここで躊躇う。若き日に内乱で叔父2名を失くし、市民も大勢亡くなった。自分がその内乱の引き金を引いてもいいのか……。でも、それでも。自分には成し遂げたいことがある。それはローマの新体制樹立。新しい世の中を創るためにはここで服従するわけにはいかない。そして、歴史に残る名演説が生まれる。

「ここを越えれば、人間世界の悲惨。越えなければ、わが破滅」
そしてすぐ、自分を見つめる兵士たちに向い、迷いを振り切るかのように大声で叫んだ。
「進もう、神々の待つところへ、われわれを侮辱した敵の待つところへ、賽は投げられた!」

塩野 七生. ユリウス・カエサル ルビコン以前──ローマ人の物語[電子版]IV (Kindle の位置No.7536-7538). Kindle 版.

謀反者の汚名を一緒に被る事になる兵士たちに対して、「正義」ではなく「情」に訴えたのだ。これだけ国家に尽くしたのに汚名着せられた、お前たちの最高司令官の名誉と尊厳を守って欲しいと。カエサルが自らのことを「お前たちの最高司令官」って表現してるのも、兵士のプライドに訴えかけてて絶妙なんだよなあ。数多ある歴史小説の中でも、一二を争うくらい好きなシーンだ。


あまりにも「賽は投げられた!」のシーンが好きだから、実際にルビコン川を見に行ってみた





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え?これ?福島のばあちゃん家の近くにあったような二級河川じゃんw こんなしょぼい川を越えるために、あんな名演説打ったの?w 



「賽は投げられた!」のシーンが大大大大大大大大好きなぼくでさえも、思わず失笑してしまうくらいのしょぼさ。カエサルが決死の覚悟で打った名演説の場も、2000年以上後に生きるぼくからしたら「しょぼい」になるのだ。とすると、今僕らが必死でやっている諸々の営みも、後世の人間からしたら「しょぼい」ものになるのかな。そう考えると、人間なんてものはもう好きなように生きて、好きなように死んでいけばいいんじゃねーかなと思えてくる。

それでも後世まで語り継がれるのはすごい

カエサル視点で言うと「2000年以上後に東洋人が、わざわざルビコン川を見に行ってる」というのは、やっぱり凄い話な気がする。カエサルは素晴らしい偉業を成し、語りたくなるストーリーと歴史的資料を残し、それを見た塩野七生女史が日本語で小説を書き、その小説をぼくが読み、実際にルビコン川に足を運んだのだ。もし、カエサルにベストセラーを書く文章力がなく、兵士たちの心を揺さぶる演説ができなければ、カエサルは歴史に名を残せていないと思う。彼が成したことの多くは、彼のプレゼン能力に支えられていた面が多いにあるからだ。

周りの心を揺さぶれる言葉を生み出す。ルビコン川はしょぼかったけど、逆に言葉の力の偉大さを改めて感じた出来事だった。

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