希4念慮を抱き、生きる
気づいたら試験まで1ヶ月しかなく、来週から1ヶ月のお休みをもらうちーがです。
結局仕事や新居のことで平日は夜勉強する気が起きず、休日も土日どちらかに必ず用事があり、何もなかったとしても買い物しなければいけないものが多々あったりと1ミリも勉強しないまま1ヶ月前を迎えました。残り1ヶ月は毎日15時間勉強コースです…頑張ります…
※ここから自殺関連の話をします。苦手な方はブラウザバックして自分の身を守ってください。
さて、ここ2ヶ月でいろんな人に会いました。
自衛隊の人、中学の同級生、オーストラリアから帰ってきた半年ぶりの友人、などなど…
自分の試験を考えつつ、将来何をするのかなぁと考えている時にAbemaPrimeで自殺未遂をした人たちの特集を見ました。
サムネにあるように、当事者が、生きていて良かった と言っています。
このような気持ちを一瞬でも持てることが素晴らしいと思いつつ、自分はなぜそれを思えないんだろう…と思いました。
決定的に自殺できるような行動を行っていないのが決定的な違いのため、そこなのかもしれないですが、では現在の自分はどのような状態なのでしょうか。
現在の自分の状態はいわゆる希死念慮を持っている状態、であると思います。
希死念慮は厚生労働省の定義では上記のようになっています。
これは例えば、自分が起動しているPCだとして、様々なソフトウェア(以下、ソフト)が動いているため生きている、とします。
この様々なソフトはウィンドウを広げて何層にも1つのデスクトップ上で動いていますが、その中に1つ、自死ソフトがあって、バックグラウンドで待機している状態。
その自死ソフトは他のアクティブウィンドウの状態や、自死ソフト自体の状態によってアクティブウィンドウになったりならなかったりします。
他のソフトがお休みしていると必然と前に出てきますし、画面いっぱいにウィンドウが開かれていない時は隙間からひょっこり顔を出して、間違えてアクティブにしてしまったりします。また、自死ソフトがアクティブになる条件があったりもします。
この自死ソフト、僕は永遠にアンインストールすることはできないと思いますし、ウィンドウを最小化することや、他のソフトで隠すのが精一杯なのかな、と思います。
つまり、希死念慮を持ってしまった、自殺念慮を持ってしまった人に、生きたい、と本格的に思わせることは無理であると思います。
生きていたい→死にたい
はできますが、
死にたい→生きていたい
はできない、不可逆的であると思います。
自分の状態がなんとなくわかりましたが、希死念慮が不可逆的なのかどうかはまだ感覚的です。
これが可逆的であるかどうか考えたいです。
ただ、「生きていたいと思える状態になりたい」とは思いません。
AbemaPrimeの特集で「生きていてよかった、生きていることは素晴らしい」と言っていますがこれと生きたい、は違うのかもしれませんが、なぜそのように思えるようになったのか、その気持ちの正体はなんなのか、知りたいです。
取り留めのない自分の気持ちを書きながらまた整理を行いました。
また何かわかればnoteに書くか行動に移そうと思います。
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