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人種差別

私は差別されるのは無論のことすることも嫌悪する。
と、いうより私が人種差別などということをすることは決してない、と信じる。

これから記することは、二十年ほど前、イタリアに旅した時にナポリで起こったこと。
言葉には出さなくても、そこには純然たる人種差別がありました。

ナポリに着いてすぐ、夫は街行く人の着ているちょっと光って見えるキルティングのコートが気に入った、買いたいと言い出したのです。
そして、それを見つけると、即、買ってしまいました。
その冬、人気のあるデザインだったのでしょうか、すぐに見つけた・・・。
で、すぐに着衣すると町の中に出かけたのでした。

数日後、列車で南に下り、シシリア島まで行くことにしていたので、まずその足で駅まで行ったのです。
夫は切符を買うために列に並んでいました。
私は列から離れて見ていたのですが、すぐに何か異様な雰囲気の二人が私の隣に立っていることに気が付きました。

日本では到底そんなことあるはずないと思います。
想像がつきますか?

ナポリでは多くの私服警官が町を守っているとは聞いていましたが、そんな様子の二人が私の隣に立っていたのです。
どういうことかわかりますか?

私が怪しかったから?私を尋問するため?

いいえ、彼らの目は夫に注がれていました。

私は、すぐになぜか分かりました。
夫は寒がりです。
ナポリで寒いからってニット帽も買ったのですが、例のコートを着衣し、ニット帽もかぶった夫の姿はナポリの町中を闊歩している、何人も見かけた黒人そのものでした。

夫には彼の背後で何が起こっていたか想像もできなかったでしょう。
私服警官たちは夫のことを凝視していました。
もし夫が怪しい素振りでもしでかすようなら、すぐに捕まえようとスタンバイしていたのです。

駅で切符を買う黒人は珍しいというのでしょうか。
用を済ませて夫がこちらを向いたとたん、二人は顔を見合わせ、少し微笑んだように見えました。
あれは安どの表情だったのでしょうか。
そして、彼らはどこへともなく消えて行きました。

夫は金髪碧眼です。それが帽子と、向こうを向いているということで彼らにはわからなかったのです。

私は人の心理、イタリアの黒人が置かれている立場、異邦人に対する心理
を見たような気がしました。

人種差別とはそれほどのものなのでしょうか。
思い込みで「外側」がそうだったら、すべて悪に見えるのでしょうか。

また、その旅の帰り道、今度は日本、福岡空港からのリムジンバスの中で、中年の女性が夫に関して言った言葉「きれいな目ね、髪は染めているのかしら」が引っ掛かりました。
私は返事をしませんでした。
そんなことのどこに重要性があるのか、と思ってしまったのです。
女性は続けて「家の中で問題はないですか」と聞いてきました。
「はぁ、どういうことですか?」と私ははいていました。
その女性はステレオタイプで物事を考えている・・・。
これじゃあ、世界中で人種差別がなくならないのは当たり前だと思った瞬間でした。

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