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川越宗一『熱源』

近所にいい感じの居酒屋を見つけたので、のんびりおでんを食べていると、恰幅のいいおじさんが隣の女性に向かって、

「北海道は、開拓されてまだ200年も経ってないので、文化がない」

などと持論を語り出した。よりにもよって、この本を開いているおれの横で。

熱源、というものがこの冷めた自分にももしあるとすれば、それは、この時、胸の奥に灯った「は?」みたいな気持ちなのだと思う。「開拓」されるずっと前からそこに人は生きている。文化もある。なのに、そのディテールをなかったことにするような、歴史の高みから人を見下すような、そんな驕った物言いを、歴史の「勝った側」にいる人はしてしまう。

この小説では、そんな歴史の傍らに追いやられてしまった人々に視線が注がれる。舞台は明治初期~第二次世界大戦(年表)。主人公のひとりは、樺太/サハリンで生まれ、日本が持ち込んだ文明と疫病に翻弄されるアイヌ。もうひとりは、ロシア帝国に故郷を奪われ、囚人として樺太/サハリンに流刑になったポーランド人。どちらも実在の人物だ。それぞれの物語は、何の関係もないかのように始まり、しかし、やがて歴史は二人を交錯させる。

二人の出会いは、この小説を象徴するかのように、途方もないような距離を越えた奇跡でありながら、事件として歴史に刻まれるには平凡すぎる。それでいて、時空を超えて、ひとつの小さな歴史を変えることになる(この部分はたぶん完全にフィクション)。人の命が、想いが、熱が、受け渡されていく。

歴史に残らなくてもこれこそが歴史なのだ、と思わせてくれる、そんな重みがあった。もし司馬遼太郎が21世紀に生きていたら、こんな本を書いてたんじゃないだろうか。読んでおくべき傑作。

(カバー画像:https://flic.kr/p/9LMoNt

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