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石戸諭『ルポ 百田尚樹現象 愛国ポピュリズムの現在地』

タイトルにある百田尚樹についてははじめの3分の1だけで、残りは「新しい歴史教科書をつくる会」についての歴史が語られる。ふたつを対置することで、「つくる会現象」から「百田尚樹現象」に、何が引き継がれ、何が引き継がれなかったのか、を浮き彫りにする。個人的には、「つくる会」について名前以外ほぼ何も知らなかった(当時小学生だった)ので、単に年表的な情報だけでなくその時代の運動の熱気も含めて知れて勉強になった。

で、何が引き継がれ、何が引き継がれなかったのか。それは、

「反権威」的なスタイルと、「普通の人々」を狙うことだけが引き継がれ、

そして、着脱できない主義主張が引き継がれていない、とこの本の筆者は考えているようだ。

着脱可能な主張とはどういうことか。例えば、百田のインタビューの中で印象に残った場面として筆者は、『永遠の0』映画版についてのやりとりを挙げている。

映画の肝心なシーンで、日頃から百田、そして右派がこだわって使う「大東亜戦争」ではなく、「太平洋戦争」という言葉が平然と使われている。なぜ、これだけ歴史観を主張していながら「太平洋戦争」を受け入れたのか。

これに対して百田は、

『大東亜戦争』という言葉を使うことで拒否感を持つような方もおられますので、こだわりがマイナスになります。用語はもちろん大事ですが、多くの観客にとってはどうでもいいことです。

と、自分の「こだわり」よりも観客を重視した、と答える。百田の言葉は、議論のためではなく観客のためにある。それは、着脱できない「情念」に支えられた「つくる会現象」とは違う、と筆者は断じている。

鋭い洞察だ。なるほどな、と思う。一方で、個人的には、中身が変わっても「反権威」というスタイルこそが人を動かしている、という事実に注目したくなる。

本の中で、「つくる会」の中心人物のひとり、藤岡勝信についての章がある。藤岡は左派運動から転身した経歴を持つ。

藤岡は元左派であり、左派運動が力を持った理由を自らの経験から、よく学んでいた。左派は時の自民党政権を「敵」に定め、自らを「反権威」「反権力」的存在と位置づけ、対抗することでまとまり、運動のエネルギーを調達する術を知っていた。
(略)
自虐史観を旗印に藤岡が作り出したのは、右派でありながら攻めることができる「反権威」というポジションだった。

と語られているように、「反権威」というスタイルは、「つくる会」以前から、主張の内容によらず綿々と受け継がれてきた戦略なのだ。

いや、戦略だ、と書いたけど、戦略でなくても「反権威」ということはそれだけで魅力がある。おそらくは、この本を読んで感じる「リベラルメディアは報じないディテールについて描写していてあっぱれだ」という気持ちさえ、「反権威」という魔力の影響なのかもしれない。そんな暗い予感に怯えつつ読んだ。

(カバー画像: https://flic.kr/p/8wVDt1

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