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『古事記』の基礎知識と日本書紀との違いについて書きました。

ここ最近『古事記』が面白すぎて、それに関する書籍やネット上に広がっている有識者の記事、そしてもちろん古事記そのものばかりを読んでいます。

古事記って、なぜこんなにも面白いのでしょうか?

そこで今回は、【たまたまこの記事を見た】であろうあなたに向けて、少しでも古事記に興味を持ってもらえるように、古事記の基礎知識と日本書紀との違いについて書きました。

古事記とは?

まずは基礎知識からいってみましょう。古事記は、天武天皇の発案(勅命)によるとされ、上中下の全3巻からなります。

日本国の正しい歴史と系譜を確立して後世に伝承することを目的に、持統天皇、文武天皇を経て、元明天皇の御代(712年 / 和銅5年)に完成しました。

これ以前にも皇室の記録を書いた『帝紀(ていき)』や、神話・伝承・歌謡などを書いた『旧辞( きゅうじ)』などはあったとされますが、残念ながら今日においてそれは残っていません。

そのため、今から約1300年も前に作られた古事記こそが、現存する日本最古の書物であり、それゆえにとても貴重な存在なのです。

(ちなみにこの頃、701年の大宝律令によってようやく“日本“と言う国号が定められました)

上巻

イザナギ・イザナミ(国生み神話)

古事記の上巻を端的に言えば、天地のはじめから天孫降臨(てんそんこうりん)前後の神々の物語です。

“イザナギ・イザナミの国生み“神話や“出雲の国譲り“神話など、きっとあなたも1度は聞いたことがあるであろう物語ばかりです。

中巻

その後の中巻ではまだ神話に近い(神話と人間の中間のような話)が展開され、地上に降り立ち“神武東征“を行った初代 神武天皇の伝説から始まります。

また、“ヤマトタケル伝説“もこの下巻に記述があり、その後に登場する神功皇后・応神天皇(第15代)までの内容が綴られています。

下巻

最後の下巻は、仁徳天皇(第16代天皇)から始まり、推古天皇(第33代天皇)までの歴史。

この辺になると神話の話はほとんど見られなくなり、天皇の妻問いや王位継承をめぐる反乱など、かなり人間臭い描写で描かれています。


なお、古事記の中身についてもっと深く学んでみたい!という方は、過去に書いた以下の記事をぜひ参考にしてください。


古事記って誰が書いたの?

古事記の序文(上中下巻とは別)によると、稗田阿礼(ひえだのあれ)が各地に伝わっていた伝承(民話、神話、口伝など)を暗唱し、太安万侶(おおのやすまろ)が編纂したとされます。

天武天皇の御代に始まったこの編纂は、一度ストップしてしまうものの、元明天皇の御代に再開し、なんとたっとの4ヶ月ちょっとで完成したそうです。

なお、古事記の序文については疑い部分も多く、実は稗田阿礼なる人物なんて存在しなかったのではないか、という説が有力です。

(ただし、4ヶ月ちょっとでのスピード完成は事実であるとされています)

この説について、あえてここでは触れませんが、今後の記事更新で明らかにさせていきますので、ぜひお楽しみに!

古事記と日本書紀との違いは?

豊葦原千五百秋瑞穂

さて、古事記と同じ年代に書かれたことからも、よく比較に出てくる書物が『日本書紀』ですよね。

4ヶ月ちょっとで完成した3巻(上中下巻)からなる古事記とは対照的に、日本書紀は”30巻+系図1巻”と膨大で、その編纂年数は実に”39年”にものぼります。

『日本書紀』は、元正天皇の養老4年(720)に完成したとされるわが国最初の勅撰国史(天皇の命で編修された国の歴史)。撰者(編者)は天武天皇の皇子の舎人親王(とねりしんのう)ですが、ほかに紀清人(きのきよひと)や三宅藤麻呂(みやけのふじまろ)らが編纂の実務を担当しました。

出典:国立広文館

また、神話や物語調(紀伝体)で書かれた古事記とは違い、主に”編年体”で書かれている点も特徴の1つです。

これは日本書紀が、中国をはじめ国外に対して日本の存在感をアピールするためにまとめられた歴史書だからだですね。

(日本書紀の内容については、また別の機会にでも詳しく書かせていただきます)

<さいごに>

この記事では、古事記の基礎知識と日本書紀との違いについて、ザックリとさわりの部分だけを紹介してみました。

今後の予定としては、いよいよ古事記の中身について書いていきますので、ぜひ僕のnoteをフォローして、次の更新を楽しみにお待ちくださいね!

本日も、ご覧いただきありがとうございました。

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